布施努先生×秦 由加子さん 対談
施努先生が、現役選手や指導者と対談する「A talk show.」。今回のゲストはリオ・パラリンピックに出場した秦由加子選手。布施先生も太鼓判を押した秦選手のメンタルの強さを見える化していきます。Lumina2016年12月号掲載(情報など掲載当時のまま)。
「コントロールできないことに固執せず
できることに心を向けるのが大事」
布施■まずはリオパラリンピックに出てみて、いかがでしたか?
秦■それはもう、感動しました。夢に描いてきたことでしたから。
布施■前日は期待感と不安感、どっちが強かったですか?
秦■期待感です。大会前はいつもそう。
布施■失敗したらどうしよう、とかそういうことは考えなかった?
秦■やってきたこと以上のことをやろうとしてしまうと不安につながるので、今までの積み重ねを精一杯発揮しようという思いで臨みました。
布施■それは昔から?
秦■いえ、昔は不安でした。トライアスロンをやる前は、水泳でロンドンパラリンピックを目指していたんです。でも当時は、レースが全然楽しくなかった。
布施■それはなぜ?
秦■自分が目指すところに届いていない、という思いが強過ぎて、楽しさやうれしさを味わえなかったんです。
布施■トライアスロンに転向されて、それが変わった?
秦■はい、もう全然。毎回発見があってレースに出ること自体が楽しいし、タイムだけではなく、色んな面で成長が実感できる。悔しいことがあっても、次はこうやろうって前向きに考えられるようになったんです。
布施■水泳では、そういう感覚がなくなってしまっていたんですね。トライアスロンでも、今後そういう時期が来るかもしれないという不安はない?
秦■ないです。トライアスロンをできることが幸せだと思えるから。競泳ってやっている最中は、タイムのことが頭に浮かびがちです。でもトライアスロンは周りの風景も見えて、風や景色、 音、匂いなど、色んなことを感じられ ます。水泳は3歳からやっていたので、 そういう新鮮な感覚がもてなかったんです。
楽しみながら成長するカギ 「内的フィードバック」
布施■秦さんにとって、自分で工夫しながら成長できる要素がトライアスロ ンにはたくさんあるんですね。こういうのを「内的フィードバック」って言 うんです。外から見たら淡々と練習しているようでも、選手の内面では自分との対話がある。イチローのバッティング練習なんかがそうです。ちなみに 「外的フィードバック」はコーチなど周りから言われること。
秦■確かに、水泳はマンツーマンでコ ーチの指導を受ける機会が多いですが、トライアスロンは要素が多いし、それを自分で選んでいかなきゃいけない。
布施■自分で選ぶというのがポイントです。当事者意識が強くなる。今でもコーチからいろいろ指示は出ると思いますが、それを自分の中で消化してつくっていく作業ができるようになると、 楽しくなるし、強くなれるんです。
秦■ライアスロンの場合、脚の切断個所の痛みとかもあるので、思うように練習ができないことがあるんですね。だから練習メニューを変更することもよくある。自分で考えて決めることが多いんです。リオの選考レース前には、落車して鎖骨を骨折したりもしたので。
布施 それは大変でしたね。焦りは?
秦■一瞬焦りました。その1カ月後にはグランドファイナルという大事なレースがあったので。病院に運ばれたときに、まずはコーチや稲毛の会員さんに電話をして最善策を聞きました。
布施■切り替えが早い! 起こったことを受け止めて、自分のできる最善のことをやろうと行動を起こしている。これ、アスリートの資質としてはとても大事。コントロールできないことに固執せず、できることに心を向けるって、なかなかできないことなんです。
布施■ 秦さんはレース中などに「何々しちゃいけない」って考えることはありますか?
秦■落車の経験もあって、バイクのとき「転んじゃいけない」って思います。
布施■そのために何をしよう、とかは考えてますか?
秦■転ばないために体重を移動するとか、そのタイミングとか……。
布施■そこが大事。「ドントステートメント」という状態ですね。これは「何々してはいけない」と考えると、その「何々」だけがイメージに残ってしまいます。心理学的には野球で監督 が「高めに投げるなよ」と言うと、ピッチャーはかえって「高め」を意識す ることとなり、結局高めにいっちゃう。 だから言い換えのトレーニングが必要。 たとえば「ワンバウンドしてもいいか ら低く投げろ」とかね。
秦■自分が今やるべきことに意識を向けられるようにするんですね。
布施■トップアスリートは良いことばかり考えているわけではないです。本当のポジティブ思考は世間で言われるものと少々違う。トップ選手はリスクを感じていて、それに対し対策を考えるので不安は必ずしも悪くはない。不安なままにしておくのが良くないです。
秦■身近にいるすごい選手は、やはりそういう準備をしてると感じます。遠征の荷物ひとつとっても無駄がない。
布施■意外とトップアスリートって年がら年中ネガティブなことを考えてるんですよ。こうなったらどうしよう、 とか。それがモチベーションでもある。
秦■課題をクリアする感じですね。
布施■そう。それを書いて記録しておくことも大事なんです。練習日誌に不安感を書いて、それをクリアしていくことを重ねていくと自信になる。
秦■対処するための引き出しが増えるとできることも増えますものね。
布施■トップアスリートのメンタルトレーニングって、目標を紙に書いて貼っておくというようなレベルではない。小中学生はそういうことも必要ですが、 具体的な不安をたくさんつぶしていくことがトレーニングそのものになる。 それによって何が起きても対処できるという自信が生まれます。
秦■これはあのケースに当てはまるとか、置き換えたりもできますよね。
布施■そう。それを本番で何度かやると、意識せず自動的にできるようになる。ふわっとアイデアが浮かんでくる。
「自己効力感」をもてればなんとかなると思える
布施■話は変わりますが、小学生のときはどんな子どもでしたか?
秦■積極的で色んなことに挑戦したい気持ちが強かったです。生徒会長をするタイプ。
布施■挑戦してみて、自分の中ではどう感じていまし た? やろうとしてたことは、できてましたか?
秦■うーん、どう でしょう。でも自分の中でなりたいイメージがあって、それに近づこうとしてました。
布施■出ましたね (笑)。読者にはお なじみの「たて型 比較」です。強いアスリートは必ずこれをやって いる。
秦■「たて型比較」とは?
布施■ 他人と比べるのではなく、こうなりたい、という自分の理想に近づくために努力するという考え方です。それがあると「内的フィードバック」も 起きやすいんです。他人とばかり比べ ていると愚痴っぽくなっちゃったり、 逆に優越感だけになって向上心がなくなったりと難しい。ご両親から勉強しなさいと言われたことは?
秦■一切なかったです。だから自分でやらないといけなかった。
布施■良い育てられ方をしています。 ご両親に感謝したほうがいい(笑)。 親が他の子と比較せず、自分で葛藤したり考えたりする時間をあげると、子どもは「やってみよう」「できるかも しれない」っていう肯定的な気持ちが育つ。これは「自己効力感」と言うんです。根拠はなくてもできるって思える。
秦■確かにそういう気持ちはずっとあったかも。病気で脚を切断するってなったときも、自分のことだから自分でなんとかできるって思ってました。子どもだったからかもしれませんけど。
布施■いやいや、それはすごいことなんですよ。そういう考え方ができるっていうのは究極の保険でもある。人生って予期しないことがいろいろ起きる。それを受け入れて、今の自分にできることを探すのを、自然にできている秦さんのメンタルのポテンシャルって、 計り知れないものがありますよ。東京パラリンピックに向けて、ますます楽しみになってきました。
秦■逆に、だめなところはどこでしょう?
布施■それがなかなか見つからない。 さっきから探してるんですけど(笑)ただ、タイプとしては計画や準備って実は苦手なんじゃないですか?
秦■はい。夏休みの宿題を最後にまとめてやるタイプです。
布施■やっぱり(笑)。でもそういう人ってそれでやれる自信があるんですよね。それと、スイッチが入らないとできないけど、入ったらできちゃうという強み。得意なところを伸ばすっていうのは大前提なんですけど、それに加えて弱点にも少し意識を向けて使えるようにしておくといい。計画性とか準備とか、そういう分野。右手(利き手)でこの紙に名前を書いてみてください。
秦■ はい……(怪訝な顔をしつつ、書く)。
布施■いいですね。じゃあ、今書いた隣側に左手で書いてみて。
秦■え〜(戸惑いながら時間をかけて 書く)。難しいですね(笑)。
布施■左で書くとき、けっこう気を使ったでしょ? これが、性格の裏側を使うっていうこと。できるんだけれど も、相当意識しないとできないから面倒くさい。でも使えるようになったら、 いろいろプラスになる。競技で上へ行けば行くほど、そういう引き出しを使う機会が出てくるはずです。
秦■それ、フィジカルの強化と同じ考え方ですね。
布施■そうなんです。だから、メンタルもワークアウト。知ってるだけではだめで、本番で使えるように訓練していかなくちゃいけない。
秦■しっかり身につくように、繰り返していくわけですね。
布施■秦さんはかなりベースの強さがあるので、それをブラッシュアップしていくと、大きな武器になりますよ。
秦■うれしいです。今日はすごくためになることをたくさん知ることができました。ありがとうございました。