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【スポーツには世界と未来を変える力がある】関根明子コラム#026

投稿日:2025年7月9日 更新日:


ルミナ編集部

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関根明子の徒然なるままに#026

前回のコラム>>【IOC会長であり母である カースティ・コベントリー氏からもらった勇気】

スポーツには世界と未来を変える力がある

(公益)日本トライアスロン連合の理事に就任してから間もなく、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員にも就任しました。

アスリート委員会は「スポーツには世界と未来を変える力がある」という大会ヴィジョンのもと、アスリートファーストの大会を実現するとともに、大会の先のレガシーを創出するアクションやエンゲージメントを推進することを目的として設置された組織です。マラソンの高橋尚子さんが委員長を務め、オリパラのアスリート経験者総勢21名で構成されていました。

ほんの数カ月前に「理事ってどんなお仕事ですか?」と言っていた私が、もっと大きな世界へ足を踏み入れることになりました。

数カ月に一度、定期的に開かれた委員会ではさまざまな議題を話し合いました。実際に選手村に滞在した経験から、滞在中どんなことに困ったか、どのような施設や機能があればより快適に過ごせたか、また出入国から選手や道具の快適な輸送についてなど内容は多岐にわたりました。

たとえば選手村について話し合ったときのことです。私がアテネオリンピックのときに選手村で困ったことは洗濯でした。自分の寝泊りしていた棟からランドリーまでの距離が遠く、いつも混んでいたからです。

確かクリーニングサービスもあったと記憶しますが、納期や回収方法の面で都合が合わなかったので利用しませんでした。そのためトレーニングウエアなど衣類は部屋で洗っていましたが、干す場所がなく困りました。他にも入村した日にシャワーの水が出なくなったり、エレベーターが頻繁に止まってしまったりいろいろなトラブルがありました。

委員それぞれのいろいろな経験を踏まえて、選手が快適に過ごせて本番で力が発揮できる環境とは、どのようなところなのかたくさん話し合いました。

オリンピックフラッグツアーで訪れた宮城県石巻市の小学校

思い悩んだ石巻市訪問

アスリート委員としてたくさんのイベントにも参加させていただきました。そのひとつ、2017年に「東京2020オリンピック・パラリンピックフラッグツアー小中学校訪問イベント」で、宮城県石巻市の小学校に行かせていただき、オリンピックムーブメントを伝えさせていただいたときのことです。震災後復興間もないころでしたので訪問することに大変な緊張と戸惑いがありました。

今、街はどうなっているのか。生徒は学校はどのような雰囲気なのか。震災で家族やたくさんのものを失った子どもたちに対し、私は何か力になれることがあるのか。かなり思い悩みました。

しかし当日、生徒の待っている体育館にフラッグを持って入場したとき、私たちへの期待感と活気のある雰囲気に心が一気に晴れました。このとき、あらためてスポーツのもつ力を実感したとともに、自分の中に語れるものがあることの誇りと、これまで支えてきてくださった方々への感謝の気持ちでいっぱいになりました。今でも素晴らしい思い出として心の中に残っています。

他には全国の学校を対象に運動会等でのオリンピック・パラリンピックに関連した取り組みを公募し、審査の上優れたものを表彰、全国に内容を展開していくアクション「東京2020みんなのスポーツフェスティバル」で審査員をさせていただきました。

大会アクションレガシーであるスポーツを「みる」「する」「支える」を土台にしたユニークな種目がたくさんあり、思わず「なるほど!」というものから微笑ましいものまでたくさんのアイデアがありました。今まではスポーツに対し競技力向上にしか価値を見出していなかった私が、スポーツのもつ側面や魅力に気が付き始めたのは、この頃からでしょうか。

組織委員会のイベントでボッチャ体験

母親と自分の信念との間に揺れながら

そんな時期に、さらに新たな可能性への扉が開く出来事がありました。それは、何度目かのアスリート委員会終了後のことでした。

その日参加していた関係者の方から突然、「直近に海外で開催されるオリンピック関係の会合に出席可能ですか?」と直接お声がけいただいたのです。

それはもう驚きを通り越し、一気に浮足立ちました。絶対に行きたい。こんな素晴らしい経験をするチャンスは二度と巡ってこないだろうと思いました。帰りの電車の中で興奮した気持ちを押さえながら、家族をどう説得しようかと考えました。

しかし難点がありました。当時は4カ月前に3人目を出産したばかりでまだ授乳中でした。海外出張なので1週間ほど家を留守にしなければなりませんし、何かあったときに対応ができません。乳飲み子を預かる方にも大きな責任と負担があります。

そうなると家族だけでなく親戚の理解とサポートも必要でした。何度か話し合いましたが、やはりハードルが高く賛同が得られなかったため、お声がけいただいた方には正直に理由をお話しさせていただき、本当に残念でしたが辞退させていただきました。

IOC前会長トーマス・バッハさんと

このように当時のことを思い出しながら書いていると、そのときは周りの理解が得られなかったからだと、半分人のせいにしていましたが、結局は自分の信念がなかったのだと気が付きました。生後間もない授乳中の子どもを置いて1週間近く家を留守にするという罪悪感です。

今考えればそんなに深刻に考えることもなかったのかもしれません。授乳に関しては搾乳して冷凍対応ができましたし、何かの病気で母親が入院し母子が一時的に離れるという場合も世間では十分起こりえることでしょう。

父親が出張で1週間家を空けることに関しては「お父さん頑張ってね!」となるのに、母親が同じ状況になった時、往々にしてなぜ多くの人に頭を下げなければ仕事ができないのか。または迷惑をかけてしまうのではないかと思ってしまうのか。

私の個人的な感情の問題なのでしょうか……。もちろんみんな誰かに支えられ、誰かを支え、必ず誰かのお世話になっているという大前提はあります。今でも時折、当時のことを振り返りながらふとそのことについて考えてしまいます。

それからまだ話は続きました。

その1年後、また同じ方からお声がけをしていただいたのです。今度はスイスのローザンヌで行われるIOC(国際オリンピック委員会)のアスリートフォーラムに組織委員会のアスリート委員会の立場で出席することでした。

今回は誰が反対しようと絶対に行く! 今度このチャンスを逃したら自分は馬鹿だとまで思いました。強い決意のもとすぐに家族に交渉しました。結果は周りの理解と協力を得ることができ、めでたく出席することになりました。なぜ2回もお声がけいただいたのか、今でも不思議でなりませんが、きっとあのとき、私に何かを期待してくれたんだと思っています。素晴らしい経験をさせて頂いたことに今でも心より感謝しています。

スポーツの真の価値を周知するために

念願が叶い、いざローザンヌへ。それは2年に1度開催される国際アスリートフォーラムで、今までで一番大きな規模だということで世界中のオリンピアンがローザンヌに集まっていました。

3日間滞在し、ここでもさまざまな議題をみんなで話し合いました。アンチドーピング・アスリートの権利と責任について・倫理とガバナンス・エリートアスリートのメンタルヘルスの管理など。中でも一番力を入れて話し合ったのがアスリートへのサポートについてでした。

オリンピアンのセカンドキャリアについてのワークショップ後に集合写真

現役のアスリートも引退後のアスリートも、どちらの人生も成功できるように。現役時代のスポットだけでなくその人の人生を継続的に支援していく仕組み作りをどうするか。ワークショップの中でたくさんの意見を出し合いました。

当時のメモを見返して、私のグループ内で出た意見の中で大変興味深かったものを紹介すると、インドではオリンピアンがアカデミーを創設し、引退後の選手がそこでさまざまなことを学ぶ環境があるそうですし、ネパールではオリンピアンが母校に戻り、体育の授業などのスポーツアクティビティへ関わるそうです(当時)。

特別なイベントの時だけではなく、オリンピアンが引退後もこれまでで得た経験と培った力が発揮できるような環境が整い、社会に持続的に貢献出来る、活躍できる場所が増えれば、もっと皆さんにスポーツの真の価値が認めてもらえると思いますし、心からそれを願っています。

※1カ月に1回程度不定期更新

【コラムを最初から読む】
>>#001 オリンピアン関根明子さん、コラム始めます!~徒然なるままに~
>>#002【水泳から陸上へ――高校受験が転機に】
>>#003【トライアスロンとの運命的な出会いのきっかけとなった人】
>>#004【本格的にトライアスロンの道へ】
>>#005【シドニーオリンピックをどうやって決めたのか】
>>#006【先輩の背中を見て真っすぐ強くなった私】
>>#007【期間限定のはずが にしきのあきらさん の言葉に勢いで……!?】
>>#008【アテネに向けて再出発 カナダにトレーニング留学】
>>#009【理想の選手とコーチの関係性とは】
>>#010【アイアンマンに挑戦したのは、 自分の殻を打ち破るため】
>>#011【アテネオリンピック前に三宅義信さんから学んだ勝負哲学】
>>#012【あとを追いかけるばかりでは追いつけても追い越せない】
>>#013【アテネを経て改めて想う選手と指導者の距離感】
>>#014【年末にオススメ 思い出の棚卸】
>> #015【シーズン初戦に向けて プロでも気を付けるべき暑熱順化
>>#016【2006年アジア選手権で奇跡的な銅メダルの裏側】
>>#017【2006年世界選手権 諦めず最後まで走り切った結果…】
>>#018【アジア選手権に思うこと】
>>#019【スキルや想いを紡いでいくこと】
>>#020【「自己コントロール」のための「セルフトーク」の重要性】
>>#021【アクアスロン出場であらたな自分を発見】
>>#022【私が現役引退を決意するまでの数カ月】
>>#023【「なぜ怒りを指導に使ってしまうか」その答えを見つけに】
>>#024【脳と身体のつながりについて考えるきっかけになったこと】
>>#025【IOC会長であり母である カースティ・コベントリー氏からもらった勇気】

関根明子 Akiko Sekine
九州国際大学附属高等学校女子部陸上競技部。ダイハツ工業株式会社 陸上部に所属。1998年トライアスロンへ転向し、10年間プロトライアスリートとして活動。2008年に引退後、現在は3人の子育てをしながら、トライアスロンやランニングのコーチとして活動中。1975年生まれ、福岡県北九州市出身。
関根さんがメインコーチを務める、埼玉県さいたま市にある埼玉スタジアム2002公園を拠点に活動するランニングとトライアスロンのクラブ
SAI ATHLETE CLUB SAITAMA《主な成績》
1998年 ソウル国際女子駅伝 日本代表、横浜国際女子駅伝 近畿代表
2000年 シドニーオリンピック トライアスロン日本代表
2004年 アテネオリンピック トライアスロン 日本代表
2006年 アジア競技大会 (ドーハ)

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