関根明子の徒然なるままに#024
前回のコラム>>【「なぜ怒りを指導に使ってしまうか」その答えを見つけに】
戻ってきた運動習慣
ここ数日、晴れた日は陽ざしが優しくなったような気がします。今日もこの原稿を書く前にランニングしてきました。走っている最中、息を吸ったり吐いたりしていると、何となく春の香りがします。生温かい空気と共に風に舞う砂埃を一緒に吸い込むと、自分が子どもの頃の運動会を思い出し、毎回ワクワクしています。
それから、最近は走りの感覚がさらに良くなりました。タイミング良く着地して地面を捉えたときのあの筋肉の弾力感がとても心地良いです。
以前は「こんなにお天気が良いと走りたくなるでしょう?」と聞かれると「いいえッ! そんな時間があったらのんびりカフェで座ってお茶したいですよ!」と答えていましたが、ようやく運動が習慣になってきて、走ることで充実できるようになったので、今度そんな問いかけがあったら「そうですね。自分だけに集中することができて中心を取り戻す貴重な時間になっています」と答えるでしょう。
運動が脳機能の改善や全体の発達に効果あり
さて、ここ最近の私の一番の関心事は「脳」です。興味をもったきっかけは1年ほど前でした。
自宅近くに障がい者福祉施設があるのですが、そこに通所されている知的に障がいのある成人の方々や発達に凸凹のある子どもたちに対して運動指導を頼まれたことがきっかけでした。
お話をいただいたとき、障がいを抱えている方々に対しての知識や指導経験ほぼはありませんでしたが、ある経験から運動が脳機能の改善や全体の発達に大変効果があるということを感じていました。
今からもう3年ほど前になります。新1年生に上がったばかりの次男が小学校に入学してすぐ学校に行けなくなった時期がありました。ちょうどコロナウイルスが日本に上陸し蔓延し始めた頃でした。分散登校や黙食など、日々緊張を強いられていたからかもしれませんし、本人が思い描いた学校生活とは全く違ったのかもしれません。家庭環境や繊細過ぎる性格もあったと思います。
小学校に上がる前、次男の通っていた保育園は自然育児を大切にしたとてもアットホームな環境でした。園の方針で当時は布おむつを使用し、日中は泥にまみれて年齢の異なる仲間とたくさん身体を動かし、文字の読み書きもほとんど習わず、のんびり育ちましたのでギャップに戸惑ったのかもしれません。
担任やスクールカウンセラーと話し合い、もしかしたら発達に特性があるかもしれないとのことで、一時期特別支援学級に通ったことがありました。
支援級の担任は大変気さくな方でしたので、私のこれまでの経験を知り、ぜひ子どもたちに運動を教えてほしいということになりました。ひょんなことから、たったの数カ月でしたが特別支援学級の体育の授業を行うことになりました。
そのときは発達に障がいのある子どもたちへの知識や、ましてや体育の授業を行った経験がなかったので、過去の経験を生かしてと言われてもいきなりトレーニングを行うわけには行きません。
「はて? 何をやろうか」と悩みました。そのころ、スポーツ庁の委託事業で女性コーチを育成するプログラムがあり2年間研修を受けていたのですが、その研修中に海外研修として1週間ほどカナダへ行く機会がありました。
身体を動かすことで表情も明るく
そこで受けたマルチスポーツについてのセミナーが大変素晴らしく、今の私のコーチングの礎となっているのですが、その内容を思い出しました。幼少期のマルチスポーツが成長期の子どもの心身の健全な発達に大変良い影響を与えるという内容で、「これだ!」と思いました。当時の資料を見返しそれをヒントに授業を行いました。
授業ではまず体育館全体を使ってサーキットコースをつくり、跳び箱を飛んだ後にマットで前転を行なったり、動物歩きをした後にケンケンパーをやったりしました。子どもたちの体力と技量を観察し、休憩をはさみながら反復しました。
当時はぶっけ本番。子どもの発達に関する知識はなく、これまでの経験と直感でメニューを作っていました。しかしこれらの内容(回転したりジャンプしたり四つ這いで歩く)が後に発達を促し、理にかなっていることが分かりました。
サーキットでしたので心拍数が上がったことも良かったと思います。心拍数が上がり身体に負荷がかかると脳内物質であるドーパミンが出てやる気や集中力が高まります。「体力=集中力」「体力が知力を決める」身体に力をつけることが知的発達を促し、身体を鍛えれば脳の海馬(脳の記憶をつかさどる部位)が大きくなり読解力と視覚的注意力が向上することが分かっています。
最初はいきなりやってきた知らない人に戸惑っていた子どもたちも、次第に打ち解け毎回授業を楽しみにしてくれるようになりました。そして少しずつ変化が出てきました。単純に足が速くなり、運動能力が改善しただけにとどまらず、表情が明るくなり、悔しいとか負けたくないという気持ちが芽生え、感情表現が豊かになりました。
さらに、滑舌も良くなりました。授業の最後にいつも全員にひと言感想を聞いていたのですが、初めに比べて自分の気持ちを具体的に話せるようになっていきました
この経験から、今まで私の中ではスポーツ・運動=競技だけだったものが、競技力向上以外に人の可能性を引き出すことを知り実感しました。このときの経験は今も私の指導の原点になっています
そのときの経験があったので、今回お話をいただいたとき、また何かお役に立てるかもしれないと思いました。
初めての経験を通じて
施設側の要望は健康維持のために楽しく身体を動かし体力を向上させたいとのことでした。参加者は自閉症やさまざまな障がいを抱えている人たちです。言葉によるコミュニケーションができない人、障がいの特性で見通しの立たないことや順番を待つことが苦痛でパニックになる方もいます。
身体的な障がいを併せ持っている方もいます。何がどの程度できるか、何を楽しいと感じるのか試行錯誤の連続でした。
私は4歳で水泳を始めてから33年間ずっと運動に関わってきましたから、長らく選手として活動してきた中で得た、生理学的なことや技術面に関しての経験は豊富です。
しかしスポーツを行う以前の分野とでも言いますか、そのもっと手前である人の原始的な部分。人間の発達の道筋についてはほとんど知識がありませんでしたので、障がいを抱えている方々への運動指導をするに当たり知識を得る必要がありました。
障がいに関するいろいろな本を読み調べていくと、最終的に脳の機能障がいにたどり着きました。そして運動ほど脳に影響を及ぼすものはなく(神経回路に大きな影響を与える)身体を使った運動の中でも、特にランニングが効果が高く定期的な運動(有酸素運動)が脳内ホルモンの分泌を促し、莫大な開発費をかけている抗うつ剤に匹敵する効き目があるということでした。
しかし現在は薬物療法が中心。発達段階にある子どもたちを対象とした遊びを通じたプログラムは多く存在しますが、障がいをもつ成人に向けた生活の質の向上や知的発達を促すためのトレーニングプログラムとなると、ほとんど情報がなく実施がされていません。
やっと見つけた書籍ももう20年以上前に出版されたもので、他を探しましたが出会うことができませんでした。それなら、私の経験が絶対に役位にたつ。予感から確信に変わっていきました。
すべてはつながっている
私は脳の専門家でも作業療法士(身体や精神に障がいのある人の日常生活や社会生活の自立を助ける専門職)でもありませんので、ここでこれ以上の詳しい説明はできませんが、発達に問題や障がいをお持ちの方々の脳内で起こっていることを知っていくと、思わぬ副産物という感じで、健常者の方々への指導にも大変役立つことが分かっていきました。
たとえば障がいをお持ちの方の中に空間認識が弱い人がいます。空間認識は脳の中の頭頂葉というところで処理されるのですが、ここの働きが弱いと、関連して自分の身体の傾きや手足の位置、方向が分からなくなります。実際に今指導している人ですが、低く設定したバーの下をくぐることや、地面に置いた小さな輪の中に足を置くことができません。
遠近感と言いますか、自分を基準にして対象物までの距離や奥行きが分からないのです。ボディーイメージ(自分の体のサイズ感や輪郭)が弱い。そのような方にはバランスボールやトランポリンなどを取り入れ、不安定な状況や縦揺れの刺激を三半規管や筋肉を通じて脳に送ります。
綱引きなどで全身の筋肉を強く収縮させるような動きも行います。キャッチボールをしてボールを目で追ってもらうような運動を行うのも良いみたいです。少し専門的な話になりましたが、この一連の出来事をきっかけにさらに大きな気づきがありました。
トライアスロンのオープンウォータースイムについてです。私は現役時代、スイムが課題でしたが、単に泳力不足だけではなく何となく他にも要因があるような気がしていました。レース中ブイを回った後、次に回るブイの方向がよく分からなくなることがありました。
直線の単純なコースだったらさほど問題はありませんでしたが、変則なコースですと、念入りに試泳を行っても、いざ本番になると自分の現在泳いでいる位置と目標物の位置関係が明確に分からないのです。
そのときは、目標を見失ってしまうのは単に精神的に余裕がないことが原因だと思っていました。そのような理由から、コースを自分で読んで泳ぐ自信がなかったため、人について泳ぐことが優先になり、付かせてもらった選手に泳力があり上手く最短を泳いでくれれば、とても良い位置でスイムアップできたのですが、そうでなければ大きく遅れることもあり、そこが課題となっていました。
同じように地図を読むのも苦手です。自分の位置から目的地を確認しますが、地図をぐるぐる回さないとイメージがわきません。ぐるぐる回しているうちに最後は自分がどこにいるのか分からなくなります。もしかしたら私の脳の認知機能(空間認識)に弱さがあるのかも知れません。
競技力向上のために単に泳力強化だけではなく、認知機能に対しても何らかのトレーニングで改善できるとすれば、オープンウォータースイムに課題がある人にとっては希望の光かもしれません。現役時代に知っておきたかった! と思いました。
もうひとつの例として、いま指導をさせていただいている障がいをお持ちの方に、力の加減が苦手な人がいます。その方と握手をするといきなりマックスの力で私の手を握ります。キャッチボールをしても力が出過ぎて、距離がコントロールできません。出力の調節ができないのです。そのような障がいをお持ちの方は「固有覚」という、筋肉や関節の動きや位置、力の入れ具合を感知する感覚が弱いそうです。
障がいをお持ちでなくても、似たような傾向の方がいます。ランニングの指導していると、動きに滑らかさがなく、ぎこちなくてずっと力が入っている人がいます。動きのサイクルの中に緩急がありません。力をだんだん入れたり、少し抜いたりすることが苦手です。
ランニングで力を使うのは、着地をして地面を捉える一瞬と、そのときに地面から返ってくる反発(衝撃)に体幹が負けないように姿勢を維持するための力のみです。それ以外はある意味惰性で全体の形を保っておくための最小の力だけで十分です。
改善策としては、よじ登ったり、踏ん張ったり、ぶら下がったり、しがみついたりする運動を行うと良いようです。関節に重さを感じたり、筋肉が引き延ばされたりする運動です。
このように脳や人の発達の観点からトライアスロンや日々のトレーニングと向き合ってみると、すごく興味深いと思いませんか。どうすればその人の力を最大に引き出せるのか、色々な視点から分析して刺激を与えていく。指導はやっぱり楽しいです。
現在の点が過去の点とつながり、振り返ったら線でつながっていることを願いながら、今は目の前のことを一生懸命やっていこうと思っています。
最後に思う事は、障がいと健常の明確な境界線のようなものはなく、たとえて言うなら色の濃淡のような、私たちはらせん階段のようにつながっていている、そう感じました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。予定していた内容と変わってしまいましたが、次回は引退してから子育て~指導者を志すまでのありのままを振り返ってみたいと思います。よろしくお願いします。
※1カ月に1回程度不定期更新。
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九州国際大学附属高等学校女子部陸上競技部。ダイハツ工業株式会社 陸上部に所属。1998年トライアスロンへ転向し、10年間プロトライアスリートとして活動。2008年に引退後、現在は3人の子育てをしながら、トライアスロンやランニングのコーチとして活動中。1975年生まれ、福岡県北九州市出身。
関根さんがメインコーチを務める、埼玉県さいたま市にある埼玉スタジアム2002公園を拠点に活動するランニングとトライアスロンのクラブ
SAI ATHLETE CLUB SAITAMA《主な成績》
1998年 ソウル国際女子駅伝 日本代表、横浜国際女子駅伝 近畿代表
2000年 シドニーオリンピック トライアスロン日本代表
2004年 アテネオリンピック トライアスロン 日本代表
2006年 アジア競技大会 (ドーハ)