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【アジア選手権に思うこと】関根明子コラム#18

投稿日:2024年5月16日 更新日:


ルミナ編集部

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2024年アジア選手権

2024年アジア選手権©ShugoTAKAMI/Triathlon Japan Media

関根明子の徒然なるままに#018

前回のコラム>>【2006年アジア選手権で奇跡的な銅メダルの裏側】

シーズンはじめ水温が低いときの対処法

先日行われたアジア選手権廿日市大会に大会MCと解説で行って参りました。

今回は新幹線で移動したので4時間近く座っていたのですが、それもまた良し。車窓の外の流れる景色を眺めながら、取り留めもなく浮かんでくる頭の中のおしゃべりを懐かしんだり、思案したりと、久々にゆったりとした時間を過ごさせていただきました。

最近は季節外れの暑さも珍しくなくなり、春がなくなりつつあるのに、それなのにレース当日に限ってあいにくのお天気でした。小雨が降ったりやんだり。曇天と水温の低さも相まって選手たちにとっては大変神経を使うレースとなりました。

2024年アジア選手権©ShugoTAKAMI/Triathlon Japan Media

2024年アジア選手権©ShugoTAKAMI/Triathlon Japan Media

自分の経験も含めて感じることは、スピードと切れが持ち味の選手は、気温が低く少し小雨の降っているような条件を好む傾向があり、そのような条件の時に良いパフォーマンスを発揮するようです。反対にスピードがなくタフさと粘りが信条のような選手は、高温多湿の環境で力を発揮しやすいようです。

発汗機能や体質、普段の体温、自律神経の調整機能も関係してくるかも知れません。私の場合は前者でした。高温多湿環境のレースにあまり良い思い出がありません。これは最後まで根性で克服するというような問題ではありませんでした。

今回の水温は大体16℃から17℃の間でしたが、これは銭湯の水風呂の水温です。ウエットスーツ着用とはいえそれらに対する準備が足らなければレース全体に影響をおよぼします。

寒いレースに出場するときの対策として、私が現役時代にやっていたことをいくつかご紹介させていただきます。

まず基本はホットクリームを塗ります。皆さんももうすでに言われなくてもやっているでしょう。気を付けなければならないことは塗るタイミングと場所です。

クリームによっては塗った後に一度汗をかくくらい体温を上げなければ、体感として温かさを感じることができません。そうしないと清涼感のみが続き、逆に塗ることによって寒く感じてしまいます。

塗る場所も大切です。お腹や腰回り、背中を中心に塗ります。ここを押さえておけば全身に塗らなくても大丈夫。ポカポカした感じが全体に広がりレース中ずっと心地良いでしょう。

塗る量にも注意が必要です。困ったことに水温は低いけど、上陸すると日差しが強い場合があります。もしくはスイムスタート時は小雨で水温も気温も低く寒いけど、レース中に天気が変わり気温や湿度が上がったり、急に日差しが強くなるときがあります。

そのような可能性のあるときもやはり塗る場所は同じですが、塗る量や範囲、クリームの温かさのレベルによって使い分けます。そうしないとスイムでは快適だったけど、バイクランではヒリヒリ暑過ぎて地獄だったとなるかも知れません。気を付けてください!

2024年アジア選手権©ShugoTAKAMI/Triathlon Japan Media

2024年アジア選手権©ShugoTAKAMI/Triathlon Japan Media

私も実践したリアルな方法

後は……(どんどん出てきたのでこの際書かせていただきますが)裏技的な対策として、起床してすぐに半身浴をすると良いでしょう。少し高めのお湯(41℃から42℃くらい)を浴槽に入れみぞおちあたりまで湯舟につかります。

額にじわっと汗がにじんできたら終了です。後はそのまま朝練習を行うも良し、ストレッチしたり朝食をとったりといつも通りの流れでレーススタートまで行動します。

この半身浴の良いところは、何と言ってもウオーミングアップの時間が節約できます。冬場など気温が低いときは身体がなかなか温まらず、エンジンがかかりにくいのでどうしてもアップに時間がかかりがちになりますが、半身浴をしておくとすでに循環が良くなっていて、筋温も上がっているので、レデイーゴーの状態に持っていきやすいのです。

2006年世界選手権パース © World Triathlon

2006年世界選手権パース © World Triathlon

痛みのある場合にも効果的です。同じく循環が良くなり筋肉も温まっているので、動き出しがスムーズでしょう。このポカポカ感は数時間続くので、だいたいはスイムスタート時まで快適です。

いきなり本番でやるのは何事もリスクが伴いますので、ぜひ一度寒い日のポイント練習の前などに試してみて、自分に合うようであればレースでも試してみてください。

後はあまりにも気温ともに低い場合、スタート直前までバケツのような入れ物に少し高めにお湯を張りその中に手足(ウエットスーツから出ている部分)をつけます。

暑熱対策ではこの逆を行いますよね。お湯を氷水にするわけです。手のひらなどは熱交換の場所などでここを冷やしたり温めたりすると、その効果が全身に広がるのです。

2006年世界選手権パース © World Triathlon

2006年世界選手権パース © World Triathlon

2000年シドニーオリンピックの代表を決めた世界選手権パース大会は大変水温が低く、連戦で疲労がたまっていてあまり調子が良くなかったのですが、スタートラインに並ぶ直前までバケツに張ったお湯の中に手足をつけて温めました。

これが功を奏し、スイムからベストパフォーマンスを発揮して、日本人初の世界選手権大会トップ10入りを果たし9位でゴールしました。

機会があればこちらも是非お試しください。

男女ともに日本のエースが貫録の勝利

さて、肝心のアジア選手権レースの話です。

男女エリートレースでは高橋侑子選手とニナー賢治選手がともに貫録の優勝を飾りました。前日のインタビューではほとんどの選手が2週間後のWTCS横浜大会(5/11開催)に標準を合わせており、広島大会はその通過点に位置づけということでした。

でも、それにしても今アジアの中ではふたりの強さは群を抜いており、身体の様から見ても、他の選手とその違いは明らかでした。やっぱり身体つきは正直です。トレーニングによって鍛えられ研ぎ澄まされた身体はやっぱり美しいです。

2024年アジア選手権©ShugoTAKAMI/Triathlon Japan Media

2024年アジア選手権©ShugoTAKAMI/Triathlon Japan Media

女子エリートの2位に入ったXinyu Lin選手と3位に入ったYifan Yan選手は2023杭州アジア競技大会で高橋選手に次ぎ表彰台に上がった選手たちでした。スッとしなやかに伸びた手足とバランスの取れた身体は今後大いなる可能性を感じさせました。

3位に入ったyifan選手はまだ競技歴1年半ほどの若い選手です。今回は経験不足でから勝負所で取りこぼしがあり、大変もったいないレースとなりましたが、今後さらにトレーニングと経験を積み、トランジション技術を含めて向上していくことが出来れば、もしかしたら彼女たちがアジアのトップに立つ日はそう遠くないかも知れません。

2024年アジア選手権©ShugoTAKAMI/Triathlon Japan Media

2024年アジア選手権©ShugoTAKAMI/Triathlon Japan Media

ここからは前回の続きを書かせていただきたと思います。

”上田藍”という人の存在感

紆余曲折ありましたが第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)の日本代表になることができました。代表は男女各2名で女子は私と上田藍選手。男子は田山寛豪選手と山本良介選手でした。

アジア大会はアジア地域を対象にした国際総合競技大会で、原則4年ごとに開催されます。45の国と地域から集まったアスリートが39競技424種目でメダルを争いました。

アジア大会ならではの珍しい競技では武術太極拳、スカッシュやカバディ、ビリーヤードやセパタクローなどもありました。現地には5日前に入り選手村に滞在しました。

アジア選手権の写真ではないが、レースのイメージとして、W杯ドーハ大会の様子 ©Spomedis/Triathlon Media

アジア選手権の写真ではないが、レースのイメージとしてW杯ドーハ大会の様子 ©Spomedis/Triathlon Media

大変興味深かったのは、カタール国はイスラム教を国教としているので、毎日お祈りの時間になると町中にスピーカーから礼拝への呼びかけの歌が流れていたことです。初めて聞いた時は何が始まるのか大変驚きましたが、慣れてくると最後には不思議と心地良くなりました。

他にも選手村の食堂には、宗教に配慮した食事を提供する場所がカーテンで仕切られて設けられていました。このような異国文化にふれられる事も遠征のひとつの楽しみであり、緊張から解放されるひとときでもあります。

選手村の部屋はオリンピックの時と同じくマンションのような建物の各部屋に入り、他競技の日本人選手と一緒に生活しました。私は上田選手と同部屋になりました。ここで彼女の強さを知ることになりました。

2006年レース出場時の上田藍選手。2006年LausanneITUTriathlonWorldChampionships ©Delly Carr

2006年レース出場時の上田藍選手。2006年LausanneITUTriathlonWorldChampionships ©Delly Carr

前回のコラムにも書い通り、まあ明るい! そして天真爛漫。よく食べよく眠り良く練習する。選手村の食堂で一緒に食事をしても、何でもモリモリ食べるわけです。

反対に私はというと、その4か月前のアジア選手権大会(中国)のレース前、細菌に感染して入院した経験からかなり神経質になっていたので、極力現地のものは口にしないようにと、日本から持っていた食材を自室で調理して食べていました。あらゆるものが彼女と正反対でした。これが良かったのか悪かったのかは分かりません。

昨年のワールドカップ宮崎大会では、上田藍さんが解説、関根さんはMCで大会を盛り上げた。一時代を一緒に戦った戦友と今もつなり、お互いにトライアスロン界で活躍している 写真=関根さん提供

選手村に入った日でした。部屋にはベッドが2つあり、話し合いの結果どちらが良いかじゃんけんで勝った方が決めることになりました。結果は上田選手の勝ちでした。この時一瞬ですが「あ、藍ちゃん調子良いな。強いな」と感じました。

私にとっては同じ日本代表であり、大切な後輩であると同時に最大のライバルだったので、本能的に一瞬嫌な予感がしたわけです(笑)今振り返ればですが、この時から少しずつ世代交代の流れが来ていたんだなと思います。

次回はアジア大会レース当日のことを書かせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 次号に続く。

※1カ月に1回程度不定期更新

【コラムを最初から読む】
>>#001 オリンピアン関根明子さん、コラム始めます!~徒然なるままに~
>>#002【水泳から陸上へ――高校受験が転機に】
>>#003【トライアスロンとの運命的な出会いのきっかけとなった人】
>>#004【本格的にトライアスロンの道へ】
>>#005【シドニーオリンピックをどうやって決めたのか】
>>#006【先輩の背中を見て真っすぐ強くなった私】
>>#007【期間限定のはずが にしきのあきらさん の言葉に勢いで……!?】
>>#008【アテネに向けて再出発 カナダにトレーニング留学】
>>#009【理想の選手とコーチの関係性とは】
>>#010【アイアンマンに挑戦したのは、 自分の殻を打ち破るため】
>>#011【アテネオリンピック前に三宅義信さんから学んだ勝負哲学】
>>#012【あとを追いかけるばかりでは追いつけても追い越せない】
>>#013【アテネを経て改めて想う選手と指導者の距離感】
>>#014【年末にオススメ 思い出の棚卸】
>>#015【シーズン初戦に向けて プロでも気を付けるべき暑熱順化
>>#016【2006年アジア選手権で奇跡的な銅メダルの裏側】
>>#017【2006年世界選手権 諦めず最後まで走り切った結果…】

関根明子 Akiko Sekine
九州国際大学附属高等学校女子部陸上競技部。ダイハツ工業株式会社 陸上部に所属。1998年トライアスロンへ転向し、10年間プロトライアスリートとして活動。2008年に引退後、現在は3人の子育てをしながら、トライアスロンやランニングのコーチとして活動中。1975年生まれ、福岡県北九州市出身。
《主な成績》
1998年 ソウル国際女子駅伝 日本代表、横浜国際女子駅伝 近畿代表
2000年 シドニーオリンピック トライアスロン日本代表
2004年 アテネオリンピック トライアスロン 日本代表
2006年 アジア競技大会 (ドーハ) 銅メダル

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