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【トライアスロンとの運命的な出会いのきっかけとなった人】関根明子の徒然なるままに#003

投稿日:2022年12月13日 更新日:


ルミナ編集部

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2005年 ワールドカップ石垣 関根明子

2005年ワールドカップ石垣 ©DellyCarr

前回のコラム>>【水泳から陸上へ――高校受験が転機に】#002

卒業後の進路は実業団陸上部

たくさんの思い出とともに、あっと言う間の高校生活が終わりました。卒業後は迷わず実業団ランナーへの道へ進むことを決めていました。

幸いにもたくさんのチームからお声をかけていただき、最終的にふたつのチームで迷いました。

当時、トラックで数々の日本記録を樹立し、全日本実業団対抗女子駅伝でも連覇していたトラックの名門「ワコール女子陸上競技部」と、初マラソンの世界最高記録を樹立し、世界選手権女子マラソンで日本人初優勝者を出した、マラソンの名門「ダイハツ女子陸上競技部」でした。

華やかなトラックの世界に憧れましたが、マラソンでオリンピックへ行きたかったことと、当時のダイハツ陸上部監督だった鈴木従道(すずきつぐみち)さんの「あなたはマラソンで日本記録を狙える」と言っていただいた言葉に心が動き、(株)ダイハツ工業への入社を決めました。

関根明子 ダイハツ陸上部 鈴木監督

恩師のひとり、ダイハツ時代の監督鈴木氏と。20年の時を経て

大阪での寮生活が始まりました。部員全員が大阪府池田市にある本社勤務でした。朝練は60分から80分。その後出社して午前中勤務した後、昼食を食べて午後はトレーニングという生活でした。月の半分は合宿を行っており、アメリカでの高地トレーニング含めて全国いろいろな所へ行きました。

面白いエピソードを思い出しました。確か年末に箱根で合宿したとき、大雪の日がありました。そのとき監督はどうしたか……。なんとホテルの廊下を走りました。60分くらい。大きなホテルだったので……長い廊下で良かった(笑)。

関根明子さん ダイハツ時代の練習日誌

ダイハツ時代の練習日誌。このときのトレーニングの組み立てがトライアスロンでも役に立った

鈴木監督の練習メニューは大変独創的でした。他チームが1日3部錬を行い、トラックでのインターバルトレーニングで強化する方法が常識だった時代に、当時うちのチームはほとんどトラック練習を行わず、独自のやり方でマラソンを中心に世界レベルのトップ選手を何人も輩出していました。

故障のリスクを最大に減らし、高地トレーニングを中心に、最小の練習で最大の効果を上げていました。トライアスロンに転向し、自分で練習計画をたてるようになったときに、その当時の練習日誌が大変役に立ちました。いまでもバイブルです。それに関してはチャンスがあれば、またここで書かせていただきたいと思っています。

故障がトライアスロンへの灯に

高校3年生の夏に痛めた足首は完治しないまま入社しました。走りたい、早く日本のトップになり活躍したい、期待にこたえたい、こたえなくてはならないという焦りから、練習をやっては痛くなって休むを繰り返し、結局入社して3年間は一度も試合に出場することができませんでした。

チームの練習に参加することができず、自主練習と治療の日々でした。毎日歩き、泳ぎ、エアロバイクをこいでいました。振り返ると……ここで水泳から遠ざからず、泳ぎの感覚を保っていたんだと思います。エアロバイクまで乗って、もうトライアスロン。

自分的には何もできないまま、あれよあれよという間に3年間が過ぎてしまいました。しかしこの3年間の鬱憤が、間違いなく後にトライアスロンでオリンピックを目指す際の起爆剤になりました。

もうこの痛みがなくなることはないんだなと、諦めかけたときもありましたが、入社4年目になり、痛みを持ちつつも少しづつチームの練習に合流できるようになりました。そして順調に力をつけ駅伝でレギュラーに入りました。

1998年ソウル国際女子駅伝 表彰式  関根明子さん

1998年ソウル国際女子駅伝の表彰式。下段左が関根さん

全日本実業団女子駅伝の予選会である淡路島女子駅伝(1997年)の区間1区で秒差の2位となり、その走りが評価されて、翌年横浜国際女子駅伝(1983年~2009年)で近畿代表となり、同年ソウル国際女子駅伝では初の日本代表Bに選ばれました。

陸上への情熱を失ったときに運命的な出会い

2000年にシドニーオリンピックを控えていました。鈴木監督に「来年マラソンに挑戦してみようか」と言われていました。しかしそのころの私は陸上に情熱を失いかけていました。3年間も我慢して、ようやくこの日が来たはずなのに、競技に集中できない。

そんな時期に運命的な出会いがありました。現在のパートナーである関根陽一さんです。当時の陸上部は男女交際が禁止されていましたが、あるきっかけでその事実が明るみになってしまいました。部の規約を破ったことで、私はしばらくの間、実家のある福岡県で自宅謹慎になり、陽一さんも職場が移動になりました。

ここで終わるとただの「馬鹿だな~」で終わるかもしれません。しかしここから私の運命が大きく変わりました。

ダイハツ時代チーム集合写真。2列目一番左が関根さん

もうひとつの運命的な出会い トライアスリートへ

陽一さん(鍼灸マッサージ師/スポーツトレーナー)の移動した勤務先は、都内にあるスポーツクラブでした。そこは、財界の著名人や有名企業の重役の方々が名を連ねるような会員制クラブでした。

その治療室にある日飛び込みで予約が入りました。その方は当時(一社)日本トライアスロン連合(現在は公益社団法人)の会長をされていた猪谷千春さん(日本人初の冬季オリンピックメダリスト/1956コルチナ・ダンぺッオ 男子回転銀メダリスト)でした。

初回の施術大変が良かったということで、2回目も予約をしてくださりました。2回目の施術中にスポーツの話になりました。「私は日本トライアスロン連合の会長をしていますが、2000年シドニーオリンピックに向けて、まだ強化選手が足りません。あなたはスポーツの世界に顔が広そうだから、誰かトライアスロンでオリンピックを目指すような選手を知りませんか?」と。

それを受けた陽一さんが「僕のパートナーなのですが、陸上の実業団選手で幼少期に水泳の経験もあります。いかがでしょか」と答えたところ、「では私の会社に履歴書を送ってください」となり話がトントンと進みました。

謹慎が明けチームに合流していた私に、その晩連絡がありました。「チャンスだよ」と。せっかく走れるようになり、ようやく先が見えていた時期だったこと、3年間走れなかった選手を信頼して、期待して、在籍させていた会社と監督に義理があることが頭に浮かびました。

返事ができず、葛藤して1カ月が経ちました。最終的に決め手となったのは陽一さんの「チャンスは来たときにつかまないと逃げちゃうよ」という言葉でした。

それからすぐに猪谷会長の会社へ履歴書をフアックスしたのですが、なかなか返事がありません。心配した陽一さんが会社に確認してくれてところ、猪谷会長の秘書曰く「会長には1日、数10cmもの書類がファックスで届きますので、確認できたらまたご連絡します」と。何てことだ! です。でもその後無事に連絡がつきました。

2005年日本選手権 関根明子さん

2005年日本選手権 ©SatoshiTakasaki/JTU

心を決めたひとこと

そのような経緯があり、トライアスロンへ転向することに、両親はじめ高校の恩師、会社の上司、全員が反対しました。やはり一番言われたのが「会社と鈴木監督への恩はどうするのか」「陸上で結果を出せない選手がさらにきついトライアスロンで成功するはずがない」そして「そんなうまい話がある訳がない、騙されているんじゃないか」でした。

迷い最中に、ふと中学時代の恩師の顔が浮かびました。卒業後一度も連絡していませんでしたが、卒業アルバムを頼りに連絡先を調べ、すぐに電話しました。

経緯を話し「どうしてもトライアスロンでオリンピックに行きたい」と言ったら、恩師は一言「お前の思うようにやってみろ」でした。他に会話があったのかも知れませんが覚えていません。

心が決まりました。一か八かやってみようと。ダメでもともと失うものは何もないと。ダメだったらダメで、もう結婚したらいいじゃないと心の中で思っていました。

それからたくさんの協力者の力を借りて、話は順調に進み、トライアスロンでお世話になるチームも決まりました。

実家には一度も戻らず、大阪の寮からそのチームのある東京へ荷物を送りました。1998年の夏、シドニーオリンピック挑戦への道が始まりました。

関根明子さん

>>次回へ続く。
※1カ月に1~2回不定期更新。

【コラムを最初から読む】
>>#001 オリンピアン関根明子さん、コラム始めます!~徒然なるままに~
>>#002【水泳から陸上へ――高校受験が転機に】

関根明子 Akiko Sekine
九州国際大学附属高等学校女子部陸上競技部。ダイハツ工業株式会社 陸上部に所属。1998年トライアスロンへ転向し、10年間プロトライアスリートとして活動。2008年に引退後、現在は3人の子育てをしながら、トライアスロンやランニングのコーチとして活動中。2022年「プライベートサロン Ohana」を開業。1975年生まれ、福岡県北九州市出身。
《主な成績》
1998年 ソウル国際女子駅伝 日本代表、横浜国際女子駅伝 近畿代表
2000年 シドニーオリンピック トライアスロン日本代表
2004年 アテネオリンピック トライアスロン 日本代表
2006年 アジア競技大会 (ドーハ) 銅メダル

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