1980年代のアイアンマン・シーンの象徴、大いに語る。
トライアスロン界の神、降臨――。6月に来日したトライアスロン・オブ・レジェンドのひとり、デイブ・スコット。約20年ぶりとなる今回の来日では、デイブ・スコットがブランドアンバサダーを務めるHOKA ONE ONE、HUUBとATHLONIA、さらにLuminaの共催による来日記念イベントが実現した。その中のひとつATHLONIA代表の白戸太朗さんとのトークショーには多くのトライアスロンファンが集まった。
文・通訳=東海林美佳
写真=小野口健太
トライアスロンデビューは42年前
白戸太朗(以下、白戸)■トライアスロン界のレジェンド、デイブ・スコットさんと日本で会えて本当にうれしいです。僕らは、デイブさんを見てトライアスロンを始めた世代。僕らにとって神様みたいなものなんです。
デイブ・スコット(以下、DS)■僕も日本に来れてうれしいです。現役時代、レースで何度か来ましたが、それ以来ですね。びわ湖で開催されていたアイアンマン・ジャパンに2回、あとはオリンピックディスタンスの長良川にも1回出ています。
白戸■デイブさんが他の往年の選手と違うところは、40年以上もの間ずっと、トライアスロンの最前線の現場に携わってきていることだと思うんです。選手としてもそうですが、指導者としても。
DS■僕が最初にトライアスロンに出たのは42年前、1976年のこと。当時はトライアスロンという名前もなかったし、種目の順番だって違ってました。
白戸■どんな順番だったんですか?
DS■バイク、ラン、スイムの順。距離もバイクが15km、ランが7km、スイムが1.2km“ぐらい”(笑)。ちゃんとした距離計測もしていなくて、いい加減なもんです。エイドステーションもなければ、トランジションエリアもなくて、バイクが終わったら地面にバイクを置いてランをスタートしてました。場所はサンフランシスコ。11月で気温13度、水温も13度。当時ウエットスーツなんていうものはなかったので、海パンでサンフランシスコベイに飛び込んで泳いだんです。
白戸■そして優勝したわけですね。
DS■もちろん(笑)。でも、本当は最後まで完走する気はなかったんです。ヒザに故障をかかえていたので、バイクが終わったらやめようと思っていました。なのに、なぜか走り出しちゃったんです。スイムでは前に3人いたんですけど、すべて抜いて優勝。昔のことです。
白戸■初アイアンマンは、1980年だったかと思いますが、どういういきさつで出ることになったんですか?
DS■当時僕はハワイにいて、「ワイキキラフウォータースイム」というオープンウォーターのイベントで優勝したりしてて・・・。
白戸■アイアンマンのスイムの元になったイベントですね。
DS■そう。今も開催されてますよ。で、アイアンマンの創始者であるジョン・コリンズが「ぜひアイアンマンに出て欲しい」と連絡をくれたんです。その競技のことは『スポーツ・イラストレーテッド』誌の記事で知ってはいたんですが、自分がやるなんて想像もつきませんでした。当時は何の情報もないし、トレーニング方法も何もわからなかったので。でもまあ、やってみようかと。それで、ハワイ島のコナに移した最初の年である1980年、第3回大会に出たんです。
白戸■競技というより、アドベンチャーみたいな感覚だったのんじゃないですか?
DS■ある意味、そうかもしれないですね。それまで一度もそんな距離のレースをやったことはなかったから。何時間かかるかも想像つきませんでした。一方で、なんとかなるだろうとも思ってましたが。行けるところまで行って、もうダメだと思ったらスローダウンすればいいと。でも不思議と失敗するイメージはなかったんです。多くの人がアイアンマンで失敗するのは「できない」と思ってしまうからです。当時の僕にはそういう考えは微塵もなく、良い結果しかイメージしてなかったし、ゴール後はいつも「次はもっと速いタイムを出せる」と思ってました。
トライアスロンの現状に想うこと
白戸■そのポジティブなメンタリティはすごいですね! そんな時代を経てきたデイブさんが、今の時代のトライアスロンを見てどう感じますか?
DS■ずいぶん発展しましたよね。最初はアメリカだけのスポーツで、しばらくはアメリカ人アスリートが先行していたけど、今じゃ世界中に広がって、80カ国以上の国で行われているスポーツになっています。トップ選手の出身地域もさまざまですし。
白戸■そして、オリンピック種目にもなりました。このことについてはどう考えますか?
DS■素晴らしいことだと思っています。これを機にトライアスロンへの注目度が上がったし、競技の水準もグンと上がりました。そして選手のプロ意識が高まるきっかけにもなったと思います。今、ITUサーキットの選手たちのレベルは凄まじい。そんな彼らがどんどん70.3やアイアンマンに移行してきています。
白戸■その象徴がヤン・フロデノですよね。そしてもうすぐハビエル・ゴメスも。
DS■そう、フロデノのアイアンマンでの成功によって、ショートのトップ選手がロングでも活躍できることが証明されたと思います。間違いなくこれからアイアンマンのレベルは上がっていきます。女子も然り。ただ、彼らのオリンピックディスタンスや70.3のランのタイムを見ると、アイアンマンでもっと速く走れるはずだと思っているんです。フロデノの走力ならアイアンマンのランはあと10分縮められるはずだと。トレーニングで欠けているものがあるはずで、それを見つけられれば、さらに速くなる余地があると思います。
白戸■確かに、フロデノのランのタイムは、30年前のデイブさんのタイムとほぼ同じですね。デイブさんは何が必要だと思ってるんですか?
DS■少なくとも、もっと走るということではないと思います。これは、トップアスリートにもエイジグルーパーにも共通することですが、トライアスロンのトレーニングは、スイム、バイク、ランだけじゃないんです。みんなが見落としているのが、モビリティ、ストレッチ、ストレングス。この3つが重要。
白戸■つまり、動きと柔軟性、そして筋強化ということですね。トライアスリートだからこそ、この3つが重要になると?
DS■トライアスリートは特にそうです。皆さん経験あると思いますけど、バイクから降りて走り出そうとすると、腰、骨盤、肩まわりが固まってしまって良いフォームで走れない。関節の可動域を広げ、腱や筋肉の柔軟性を保っておくことで、スムーズに動けるようになるんです。お尻(臀筋)や前側の脚の付け根(腰腸筋)、それに前もも(大腿四頭筋)のストレッチが効果的です。
コナNo1シューズ HOKA ONE ONE
白戸■シューズのテクノロジーとトレンドもここ1、2年で大きく変化していますね。昨年のコナ(アイアンマン・ハワイ)では、大手メーカーを抑えてHOKA ONE ONE(ホカ オネオネ)がナンバーワンになっています。デイブさんはトライアスロンのランにおいて、このシューズをどう評価していますか?
DS■トライアスロンに特化したベネフィットとしては、ドロップ(カカト部分とつま先部分の高低差)が大き過ぎず、かといってゼロでもなく、ちょうどいいということだと思います。バイクを終えて走り出すとき、さっきも言ったように、腰回りが固まっていて首も前に出た姿勢になりがち。
その状態でドロップがないと、アキレス腱に大きな負荷がかかってしまうんです。一方で、ドロップが大き過ぎると前側の脛の筋肉に負担がかかり、故障を誘発してしまう。HOKA ONE ONEの4〜6mmというのはその中間、まさに最適値なんです。
もうひとつ、見た目はふわふわした安定性のないシューズに見えるかもしれませんが、実は中でしっかり足をホールドする構造で安定性も抜群です。さらに、レスポンスもいいので、スピードも出せる。テクノロジー的にも信頼できるブランドだと思っています。
白戸■デイブさんが考える“強い”アスリートとは?
DS■定義するのが難しいんですが、トライアスロンという競技は1種目だけ強くてもダメ。よくバイクが強いアスリートが、バイクレグで1番をとろうと飛ばすケースがありますが、ランで失速して抜かれたら意味がないんです。皆さんつい、得意な分野に重点を置いて、不得意な分野をおろそかにしがちですけど、そうじゃない。僕はいつでもバランスが大事だと考えています。そのためには、さっき言ったスイム、バイク、ラン以外のトレーニングや栄養面も同等に重点をおくべきだと思っています。
白戸■最後に、選手、特にエイジグルーパーを指導するうえで大事にしていることを教えてください。
DS■時間をかければより強くなるわけではありません。最小限の時間で最大限のパフォーマンスを引き出せるトレーニングを行うべきです。それをしないということは、時間を無駄にしているということだと思いますよ。
チャレンジ企画の最高峰「KONAチャレンジ」の公式HPではKONAチャレメンバー限定で行われたデイブ・スコットの特別講義の様子を公開中。日本ではここでしか読めないデイブ・スコットのトレーニング理論を堪能あれ! 「KONA6勝のレジェンドが教えるアイアンマンで強くなるために大切なこと」