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【インタビュー】走ることを楽しむ#OnFriends を巡る旅。Vol.1

投稿日:2018年6月1日 更新日:


ルミナ編集部

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全国の#OnFriendsに会いに。

日本上陸以来、トライアスリートをはじめとするエンドユーザーから火が付いた「On」。2018年からOn Japanのスタッフが日本国内におけるOnの快進撃を支えてきたコアユーザーや「走ることを楽しく」というOnのコンセプトに共感するブランドファンたちに会いに行く、#MeetOnFriendsツアーが始まっている。まず「From On Japan to Miyakojima」と題して、神奈川から宮古島トライアスロンの開催地である、宮古島までを「クラウドモビール」と名付けられたOn Carで巡った

今回は、ツアーを始めるに至った経緯と各地を巡る個性あふれるOn Japanスタッフのプロフィールや想いを紹介。

スタッフにはそれぞれ呼び名があるが、これは代表の駒田博紀さんによる「愛のあるあだ名付け(愛のあるいじり)」。それぞれの人間性をよく知ろうとして、その人の話をよく聞き、特徴をつかまなければつけられない呼び名。まさに駒田さんの社員“愛”、On“愛”がなせる業。呼び名の由来はぜひ、#MeetOnFriendsのイベントに参加して直接本人たちに聞いてみよう。

駒田“ダンディズム”博紀さん
On Japan代表。別名“ハマのダンディズム”。大田区出身なのに、すっかり横浜出身だと周りが思い込むほどにOnとともにこの地に溶け込んでいる。2013 年に前職からOnブランドを担当し、2015年にOn Japanを立ち上げた。2014年、2016~2018年宮古島トライアスロン完走、2016〜2017年アイアンマン・ケアンズ完走。その他、トレイルレースにも参戦。空手の準師範。1977年11月10日、東京都大田区生まれ。

お礼参りツアー、楽しさばらまきツアー

―—もともと#MeetOnFriendsツアーを始めたきっかけは?

前職を含めればOnを取り扱うようになって5年ですが、特にOn Japanを立ち上げてからの3年間、その流れの中で、#OnFriendsという発想が生まれました。

もともと前職でOnを扱うことになったときに、全くマーケティング予算がなかったので、自分ひとりで完結できるお金を使わないプロモーション方法はなんだろう、と考えたときにフェイスブック(以下FB)しか思いつかなかった。

2013年、最初に会社からもらったオレンジのクラウドレーサーと黒と緑のクラウドサーファーを手元において、これで走り始めたストーリーをFBに投稿しようか、と。投稿し始めて、「10いいね!」がついたな、「20いいね!」が……って意味あるのかこんなことと思ったり。でも、そこから始めるしかありませんでした。

それから東京マラソンエキスポで買ってくれた人たちにFBでつながってもらって、宮古島に行ったらそこでも同じことを言いました。「これから僕、Onを履いて走り始めます。いつかトライアスロンにも出たいと思っています。その話を投稿するので、良かったら見てもらえませんか?」と。そういうことをずっと続けてきて、それでつながった人が少しずつ増えていって、それでも、相変わらずそれが何のプロモーションになっているのか自分ではハッキリとは分からないままでした。

元々、当時の会社からOnの担当を命じられたとき、ためらいを感じました。ランナーでもなんでもなかったわけですから。でも、最初にWEBサイトで見たクラウドレーサーの格好良さから強い可能性を感じたんです。ランナーとしてではなくて、マーケッターとして可能性を感じました。

きっと、やりようによってはうまくいく、と。ただ日本のランニングマーケットで、新しい謎のブランドを成功に導くまでには、どんなに少なく見積もっても、5年かかるだろう、と。でも当時の会社は1年半で見切りをつけました。それが2014年でした。

その2014年に初めて宮古島トライアスロンに完走したんですが、そのあたりからフェイスブックの友達申請やメッセージが増え始めたんです。「Onを履いてみたら、すごく楽しかった。カッコいいから普段も履いていますよ」とか「トライアスロンに出ます」とか「いつか駒田さんと宮古島出たいと思います」と投稿してくれる人が出始めた。

まだ数は少ないなりに兆しが見えてきたので可能性はあるな、と思いました。僕は、その後の絵がなんとなく見えていたつもりだったので、ここでやめたらもったいないと思いました。なにより、Onを履いて「楽しい」と言ってくれる人がそこにいるわけです。彼らに「Onはもう日本から撤退します、ごめんなさい」とはどうしても言いたくなかった。だからこそ、キャスパー(・コペッティ=共同創業者のひとり)に「On Japanを作ろう。きっとうまくいくと俺は思っている」と伝えました。

それから3年たった2017年の東京マラソンエキスポで、マラソンイベントとしてはOnで世界最高の販売記録が出たんです。ニューヨークマラソン以上。東京マラソンはランニングマーケットの縮図だと思っていたから、そこで結果が出たということは、近い将来、マーケットでも同じことが起きるはずだ、と確信しました。

―—きっとうまくいくだろうと思えたのはなぜ?

それは、自分のマーケティング力とか営業力とかとは全く違うところで助けられているんだ、と知っていたから。具体的にはエンドユーザー一人ひとりの力。友だちのようなお客さんのような。あるいは、メディアの皆さん。謎なブランドなのにとりあえず扱ってくれたお店……支えてくれている人の顔が見えていたので、だからきっとOnはうまくいくと信じていました。

このうすぼんやりとした概念に名前を付けたいと思った。名前をつけると、うすぼんやりとした自分の中だけの概念がカタチになって、それをみんなに伝えられるんじゃないかな、と。それで、一番最初に思い浮かんだ言葉が“Friends”だったんです。だから、#OnFriendsって名前をつけて、それを昨年9月のスイスの営業戦略会議で、プレゼンしたんです。

「これは日本独自の企画。On Japan のプロモーション、ビジネスの根幹みたいなものは#OnFriendsだと俺は考えている」と伝えました。ずっと支えてきてくれた日本中の#OnFriendsを巡るツアーをやりたいんだ、と。題して、「#MeetOnfriendsツアー」と会議でぶち上げてみました。

―—皆さんの反応はどうしたか?

5人の役員がすごく乗り気になってくれて、車好きのCFOが急に検索しだして、「ヒロキ、これがプレミアムカーだと思う」って、パソコンをクルっと見せてくれたのがメルセデスのVクラスだったんですよ。心の声で「マジで?俺は国産車でいくつもりだったけど。そこに寝袋を積み込んで、全国行脚するつもりだったけど」って、思いのほか良い提案にびっくりしていたら、「これでどうだ!これで不満か?」と聞かれて。即答で「ノー!不満なんかない、俺もそう思ってた、俺のイメージピッタリだ」って返したんです(笑)。

それまで僕の心の中だけで、概念として、もやもやした雲みたいだったものがやっとカタチあるものとして、人が見られるものとして明確になってきたな、と。5年間、ずっとマーケティングとセールス活動の根本にしていたことを、ようやく分かるカタチでみんなに知ってもらえるようになるんだな、と。

だから、このツアーは僕の中では、Onを支えてくれている人たちへのお礼参りという位置づけ。Onはおかげさまでお礼参りに来られるくらい人も増えて、シューズも売れるようになりました、車のリースの契約も下りました(笑)、と。

Onの究極の目的をカタチにしたお礼参りツアー、楽しさばらまきツアーなんです。それをやる僕たちが一番楽しんでやっている状態でありたい。それが僕の中での#MeetOnFriendsの考え方です。

 

青野“トシ”敏之さん
On Japanセールス。別名“天才トシ”。中学から大学まで陸上長距離一筋。鎌田和明さん(On Japanキーアカウントマネージャー=後に登場)とは国学院久我山高校の同級生。高校2年、3年で全国高校駅伝に出走。高校3年時、5000mのタイムが東京都でNo.1(14分31秒)。國學院大學4年時に箱根駅伝10区アンカーを走る。トライアスロンは今年8月の沼津駅伝で3種目デビュー予定。その他、佐渡トライアスロンのリレーでランを担当し、表彰台を狙う。1984年2月11日、東京都日本橋生まれ。

人と人のつながりを大事にするのがOn

——大学卒業後も陸上を続けるという選択肢はなかったのですか?

実業団の誘いもあったんですけど、実家が日本橋人形町でラーメン屋をやっていて、将来そこを継ぎたいと思っていたので、きっぱり箱根駅伝で陸上をやめようと思っていました。10区を走った理由が、日本橋出身で箱根駅伝を走った人が僕を含めてふたり。でも日本橋を走った人がいなかったので、僕はそこを走りたいな、ということで監督にわがまま言って(笑)。本当は6区だったんですよ。

——それを良い思い出としてきっぱり諦めると?

そうですね。それでラーメン屋の道に行くために飲食関係の仕事に就き、その後実家に入ったんですけど、やっぱり親と仕事をやる難しさを痛感して、一度サラリーマンとして働いてみようと、ブライダル関係の仕事に就きました。これが前職です。

その本社が銀座一丁目の中央通り沿いにあって、そこは東京マラソンのコースなんですよね。そうしたら社長が、僕が箱根駅伝のランナーだったことを知っていたので、「チャリティー枠で会社のTシャツを着て走って欲しい」と。出るからには、練習しなければと思って始めたら、走るのが楽しかった。大学時代40㎞走などはやっていましたが、レースとしてフルマラソンを走ったのは初めてでした。結果は2時間45分だったのですが、僕としては満足できなかった。

練習期間3カ月くらいで走行距離は1カ月100㎞ほどしか走っていませんでしたから。結局東京マラソンは5回くらい出ています。そうやって徐々に走る環境ができると、ランニングに関する仕事がしたいな、という気持ちがだんだん強くなってきました。そんなときに鎌田のFBで、「Onのセールスを募集します」というのを見たのと、日本仕事百貨に掲載されていたインタビューなどを見て「この会社、ちょっと面白そうだな、やってみたいな」と思って応募したんです。

それで、2017年2月に入社しました。よく「コネで入ったんでしょ?」と言われるのですが(笑)、そういうわけではなくて、他の応募者と同じ条件で入りました。

——初めて履いたのは?

初めて履いたのはクラウドです。現役時代からずっと思っていたんですが、長距離の選手って練習とレースでシューズを使い分けるんですよ。でも僕はそれが嫌いで。1足でなんでもできるシューズってないのかな、と思っていたんです。それで初めて、クラウドを履いてみたら、「これ、なんでもできるじゃん!」ということに気づいて、これを自分でセールスできたら嬉しいな、と思いました。

自分の脚も守ってくれるし、スピードを出そうと思ったらいくらでも出せる。紐はゴムで結ぶ必要がないけれど、フィット感は高い。Onに入る直前に、クラウドと今まで履いていたレーシングシューズを履き比べて、15㎞走をしてみたんです。そしたら、クラウドのほうが速いタイムで走れました。応募前でしたが、それで感動しました。

今は、クラウドのときもあるし、クラウドエックスやクラウドフロー。レースになると、クラウドフラッシュを履いています。

現在、トシさんがレースで履いている「クラウドフラッシュ」

―—#MeetOnFriendsへの想いを聞かせてください。

今回のツアーでは、京都から合流しました。実際に回ってみて、Onのことを好きな方がこんなにたくさんいるんだな、と実際に触れあってみて実感できました。さらに、もっともっと広げていきたい、と感じました。首都圏にいる#OnFriendsであれば、僕たちのイベントに参加してくれれば会えるんですけど、まだ会ったことのない人もたくさんいる。もっといろいろな人に会って話をしてみたいです。

各地でOnの社員じゃないんですけど、「僕は、私はOnだよ」と広げてくれる#OnFriendsがたくさんいる。その人たちと語り合って本音を聞くと、もっと頑張りたいな、と。あるブランドが好きなユーザーさんが、そのブランドのセールスやマーケティング担当者を知っているかと言えば、多分そうではないですよね。僕たちは顔の見えるセールスを目指しているので、これからもそれをやっていきたい。Onってまさにエンドユーザーから火が付いたブランドですから。そういう方たちがいるから、Onは広がっているんです。

ありがたいことに、皆さん僕のことを「トシさん」とあだ名で呼んでくれます。青野さんと呼ばれたことはほとんどない(笑)。これは、うれしいですよね。モノだけではなくて、人も大事にしているOnの本質も見えて、人と人のつながりを強く感じました。

 

佐野”さの~ん“亮さん
On Japanセールス。小学5年生から大学までテニスに打ち込む。大学時はスクールのコーチがメイン。Onの入社が決まったタイミングで名古屋から新婚の奥さんを連れて横浜へ。トライアスロンは、今年の湯原温泉トライアスロン(ミドル)でデビュー予定。初フルマラソンでサブ3が目標で、11月のつくばマラソンに出走予定。さらに年内にウルトラマラソンにも前原靖子さん(On Japanカスタマーサービスマネージャー=後に登場)と挑戦する。1993年2月22日、愛知県名古屋市生まれ。

僕はOnのファンなんです

——Onとの出会いは?

前職を辞めるときに、何か自分の好きなものを扱って仕事ができたら幸せだろうな、と思っていました。青野と同じサイトでOnの紹介を見て、「あ~いいな」と思っていたときに、会社説明会兼試し履きイベント「ダンディズムナイト」というのがあって、そこでOnのシューズを初めて履いたんです。

今までランニングというのを競技としてしか見ていなくて、トレーニングとしてしかやってきていませんでした。Onのシューズを履いてみて「あ、シューズを変えたらこんなに走りって変わるんだ」と思ったんです。これは扱ってみたいな、というかこのシューズのことが好きになりました。

実は、その試し履きのイベントに青野もいて。同じタイミングで入社面接を受けていて、最終選考までふたりとも残っていたんですが、そのときは結局青野が通って僕は落ちたんです。でもここに入りたいという気持ちが消えなかったので、もう1回チャンスがあれば募集しようというのを決めていて、昨年の9月の頭くらいに募集があって「来た!」と思って。面接で思いを伝えて、入社することになりました。僕はOnの、会社のファンになっちゃったんですよね(笑)。

——なぜそこまで魅力的に見えたんでしょうね?

まず商品に惚れたというのと、SNSで上がる働き方を見ていて単に楽しそうだな、こんな風に働きたいな、と思ったからです。会社の雰囲気をここまでSNSに出している会社も他にないでしょう(笑)? それを見て雰囲気を知れて、さらにイベントでその一端に直接触れて、さらに期待がふくらみました。

平日、土日の境もあいまいになってきているんですけど、それが心地良い。自宅にいてOnのことを考えていても、苦じゃなくてむしろ楽しい。入社前に感じたことと今感じていることにあまりギャップはないですね。僕も最初に履いたのはクラウドで、一番思い入れのあるシューズです。今走るときは、クラウドフローが多いですね。

さの~んがサブ3を狙って履いているのは「クラウドフロー」

——#MeetOnFriends西日本編の全行程を回ったのは佐野さんだけのようですね。

そうですね。移動が一番大変で疲れましたけど(笑)。各所で毎回イベントをやって、ちゃんとした告知はしなかったけれど、皆さん来てくれました。イベントの場所は決めてあって、そこに集合して青野がメインになって内容を組みます。通称「トシ練」と言って、ショートインターバルのきついやつを毎日やる、という(笑)。僕、毎日ダッシュしていましたね。

僕のあだ名はいろいろ遍歴があるんですが(笑)、最近定着してきたのは「さの~ん」。僕の地元、名古屋に行ったときは「さの~ん凱旋ツアー」としてイベントをやりました。最近はエンドユーザーの方にもさの~んと呼ばれて、定着しつつあります。

もともと僕はランニングをやっていなかった。ランニングに対しては全く無知だったし、だからこそ、楽しいということに関しては、一番大事にしてきました。テニスをやっていたときも競技としてやっているときは「勝ちたい」という気持ちだったけれど、教える立場になったときは、「楽しんで長く続けてもらいたい」という気持ちで教えていました。

ひとつのスポーツをやるときには、一緒に楽しさを伝えていきたいな、っていう思いがあって、偶然ですが、それがOnの「ランニングを楽しくする」理念と重なって、だから僕は今ここにいるのかな、と。

 

前原 “” 靖子さん
別名“プリンセス・ヤスコ”。スイスのOn本社には、プリンセスの上をゆく、“クイーン”の称号をもつ女性社員がいるらしい。On Japan立ち上げメンバーのひとりで、カスタマーサービスマネージャー。現在はウルトラマラソンやトレイルランなどを中心に参戦。トライアスロンは目下課題のスイム克服に向けて奮闘中。1981年12月18日、神奈川県横浜市生まれ。

Onを取り巻く人・モノが好き

―—まさに、姫という外見で汗が似合わないんですが(笑)、走り始めたきっかけは?

もともとは会社が近かったので同僚に誘われて走った皇居ランがきっかけです。初レースは、ずっと気になっていたホノルルマラソンでした。記録は4時間半くらい。その後、知り合いのつてで「Club MY☆STAR」(スパルタスロンなどエンデュランス系のフットレーサーとして活躍する岩本能史さん率いるランニングチーム)に入りました。2014年に初めてウルトラマラソンを走り、走ってみたらまた違う世界が見えて、それも楽しいなと思えて、貪欲に記録を求めてきたというよりは、やってみたら楽しかったという感じですね。

私の所属する「Club MY☆STAR」の代表である岩本能史さんがOnを履いていたので、私もクラウドレーサーで100kmのレースを完走しました。

Onに入ったきっかけをくれたのも岩本さんです。駒田がOn Japanの立ち上げメンバーを探しているとき、私は前職を離れることが決まっていて、そんなときに岩本さんからお電話いただいて、「Onが人を探しているらしいよ、興味ある?」と言われて、「あります」と。即答していました。その翌週に駒田と会って、そこで「ぜひ、一緒に!」と。これも即答していました。

ランニングはいろいろな縁をつなげてくれました。新しい世界も教えてくれたし、On Japanに入るきっかけにもなっているし。

―—即答の理由は?

もちろん駒田の話も興味深かったんですけど、ひとつは新しいことを始められると思ったから。ルーティンの仕事をするよりはいろんな仕事をやってみる、という性格なので。

もちろんスタートは3人(駒田さん、鎌田さん、前原さん)というのも分かっていましたが、自分の知らない世界のことをやれるんじゃないかな、というワクワクのほうが強かった。もちろん、ランニングは好きだったので、そこに関われるということはハッピーに違いないと思ったんです。

「自分で務まるかな」という不安よりは「やれるんだったら、ぜひやりたい」という気持ちが強かった。今でも不思議ですけど迷いはなかったですね。

――社員同士が仲が良く、意思統一がなされていますよね。

On Japanの立ち上げ当初、それぞれの立場でどんなことが起きているのかというのを話し、自分たちが取り組んでいることを3人でよく理解し合えていました。そうすると、相手にも敬意をより持ちやすくなるし、みんな頑張っているんだなという気持ちになりますし、私も一緒に頑張ろうと思える。なにより、感謝の気持ちが生まれます。

駒田はどうやったらこの楽しさをユーザーの人に伝えられるかというのをずっと考えている人間ですから、よく話し合うことで、鎌田と私も自然と同じ方向を向いて進むことができました。

―—#MeetOnFriendsについてはどういう想いで?

宮古島は、2016年からで今年で3回目でしたが、印象的だったのはブースに来てくれる方たちですね。全員と自己紹介しているわけではないんですけど、顔は覚えていて「1年ぶりですね」とか「お久しぶりですね」と言うと「覚えててくれたんだね」「今年も会えて良かった」というのが何度もありました。

駒田は宮古島のブースのことを「同窓会みたいなものだ」と表現しますけれど、それが如実に出たというか、彼らがまた戻ってきてくれるのがうれしかったですね。

たとえ会えなくても「シューズ買いましたよ」とか「On大好きです」いうメールをいただくなど、Onの広がりを感じられる機会というのが実際に増えてきました。この広がりというのは2015年の立ち上げ当初、3人話していたときには味わえなかったことですよね。

―—宮古島ではランコースを逆走して応援したようですね。

宮古島の100円ショップで買ったおもちゃのでんでん太鼓を持ってランのコースを逆走しながら応援したんです。これすごく響き渡る音で(笑)。レースの後に、「応援ありがとう」と言っていただけたのはうれしかったです。逆に地元の方たちには「応援頑張って」と言われたり(笑)。

その土地の人たちとOnをきっかけに関われるというのも幸せなことだな、と思いました。

今回の宮古島で私の中での大きな変化があって。もともと、私の大好きなOnというシューズを世の中の方やランナーの皆さんに知ってほしいという気持ちでやってきましたが、宮古島の方々、またそこに集まってくれた#OnFriendsとお会いして、もっと知ってほしいという気持ちが強くなりました。

#OnFriendsの方って、自分の友だちにOnをすごく薦めてくれるんです。それはいわゆる口コミなんでしょうけど、私の原点もそこ。好きなシューズを友だちに薦めたいというとてもシンプルな感情です。

宮古島ではたくさんの方に応援してもらっているんだって改めて実感できましたし、#OnFriends の皆さんにお会いすることで、私も元気を分けていただいて、いつもなぜか笑っている自分に気がつきます。

まだまだOnのことを知らない方たちにOnの楽しさを届けたい、そして、もっとたくさんの方とお会いしたいな、と思っています。

 

鎌田“カズ”和明さん
別名“世界の鎌田”。On Japan キーアカウントマネージャー。On Japan 立ち上げメンバーのひとり。小学校時代、サッカーや陸上他、さまざまなスポーツに親しむ。中学では全国都道府県駅伝に代表として出場。高校では全国高校駅伝出場。大学からトライアスロンを始める。ロング日本選手権(佐渡)で準優勝、アイアンマン・ハワイエイジ5位、宮古島総合15位などトップ選手として活躍。その後プロ活動、パーソナルトレーナーを経て現職。7月の徳之島と9月の佐渡のリレーに出場予定。1983年7月23日、東京都出身。

Onが見せてくれる未来を胸に

――Onとの出会いは?

大学を卒業した後はロングを中心に競技を行っていましたが、その後トレーナー関係の仕事を始めました。20代後半からはほぼ競技はお休みして、仕事メインでやっていたときにOnと出会いました。

最初は、Onの試し履きイベントの講師を担当してくれないかという話をもらったんです。そこで実際に履いてみたら、「これは面白いな、デザインは良いし、良いシューズだな」と思いました。それからアンバサダーを務めさせていただいたのですが、On Japanを立ち上げるときに声をかけてもらって、「これはチャンスだし、このシューズを広められるのは楽しいだろうな」というのがあって、「やろう!」と。

決め手は、単純にこの素晴らしいシューズを広めたいな、というのと同時に広まるだろうな、という予感があったからです。直感なんですけど、「絶対ヒットするだろうな」という感覚があった。しかも、スタートメンバーとして一緒に何かを作っていけるというのはなかなかない経験だと思うので「ぜひ」という感じで。

―—実際にやってみてどうでした?

もちろん、大変なことや業務が忙しいこともあるんですけど、好きなものを扱っているのでそれが苦しいとかいやだなと思ったことはないですね。

立ち上げ当初は、Onを置いてくれていたのは20~30店舗くらいしかなかった。履いている人もまだまだ少なくて。ただ、少ないんですけど、好きな人ってすごく好きでいてくれてあったかい人が多かったんですよね、当初から。僕が入ったときは、ある程度そういう人たちの顔が見えている状況でした。2013年に駒田がひとりで始めたときは、本当にゼロだったと思うんですよね。

その後は、イベントなどに集まってくれる人も増えてきましたし、皆さんからすごい熱量を感じます。広がっていると感じるのは、ツアーで巡っていることもそうだけれど、もっと日常的なことで。街でOnを履いている人をよく見かけるようになったことですね。

圧倒的にOnの話を聞く機会が増えています。そこはすごく変わってきていると感じます。以前は、FBにOnの投稿をしているのは駒田か僕くらいだったのがちょっとずつ増えてきて、今は自分のタイムラインを見たら、僕ら以外の方がOnに関する投稿をしているのが目に入ってきます。

それこそインスタで#OnFriendsと検索すれば、3000以上のハッシュタグがついているような状況になっているので、そういうのを見るとすごく広がってきているなと思いますし、僕らだけではないところで広がりを見せているなという感じがしますね。

―—#MeetOnFriendsのツアーについての想いは?

On Japanの社員は8人だけ。履いてくれる人がいて、販売店の人がいて、みんながいるからOnが日本で大きくなってきている。みんなでブランドを大きくしていると思えているので、そういう仲間で触れ合うというのは全部が#OnFriendsとつながるイベントだと我々は思っています。

たとえば自分が何かを買うときに、「これはどういう人が作っているんだろう」とか「どういう思いで販売しているんだろう」とか、そのもののストーリーが見えると引き込まれるし、より好きになることができる。そういうストーリーがあるのがOnなんです。

そのためには、僕らが前に出ていかなきゃだし、出ていきたいな、と思っています。まさにそれをカタチにしているのが#MeetOnFriendsかな、と。実際僕らが楽しまないと、その楽しさはお客さんには絶対に伝わらないと思うので、絶対的に僕らが楽しむというのが一番。

楽しく見せる裏には大変なこともありますが、よく駒田も言うんですけど、「楽しいのとラクなのは違う」と。苦しいこともあるんですけど、根本には純粋にOnのシューズを広めたいという思いがあるからそこに向かってやっていけているんだな、と。好きなことをやっているんだなと思えれば乗り越えられます。

―—将来的な目標は?

具体的なマーケットシェアで何%、という会社としての目標はあるんですけど、僕の夢はふっと視線を上げた先に、Onのシューズを履いて楽しそうな笑顔を浮かべている人たちの姿が見える。そんな未来がきたらうれしいなと。つまりそれは、Onが伝えたい、走る楽しさやOnを履くことの楽しさを知っている人があちこちにいる、ということですからね。

ランニングシューズなので、速く走れるシューズというのはブランドのDNAとしてあるんですが、それよりもどちらかというと、走ることが楽しくなって、その先の人生も楽しくなるというのをサポートしていきたいな、と。それをコミュニティーで共有して、ワイワイできたら最高に楽しいだろうな、と。自分が走ってきた経験やトレーナーとしての経験が生きていて、そういう形で伝えるのは僕だからこそできることかなと思います。

 

Onと楽しさに魂を売った男。

―—最後にもう一度駒田さんに。皆さんのお話を聞くと、同じ志がしっかり根付いているのがよく分かります。社員も増え、Onを取り扱うようになってから5年しか経っていないとは思えないほどの広がりを見せていますよね。

僕自身、ここ数年で起きたことはとまどいを感じるレベルで変化が大きいです。この5年で人生がガラっと変わりました。だから、「Onは俺の人生を変えたんだ。感謝している」ということを折に触れてキャスパー(・コペッティ)やオリヴィエ(・ベルンハルド=共同創業者)に伝えています。

僕は、On Japanが立ち上がったときから昨年の9月まで、オフィスの隣に住んでいました。何か問題があったときに、隣からパッと来てすぐに仕事ができるし、スイスが急にテレカンファレンスしたいと言ってきたら「OKすぐやろう」と。日本は0時だけどそれがどうしたって。いつでも話ができました。

それを見ていた本社の人間からは、「日本人はやばい。ヒロキは魂を売った」と言われました。でも「そうだよ。俺は楽しさのために魂を売ったんだ」と。そうやって楽しくあるためには、相当貪欲にそれを追い求めないと、すぐに人間ってネガティブな方向に行ってしまいます。必死こいているふりをしていれば、報われる。眉間にしわを寄せて一生懸命やっていることを世間にアピールしていれば、「頑張っているね」「いつか良いことがあるよ」と言われて、外から良いことが降ってくるのを待つだけ。

それを以前の僕はやっていたんです。でも何も良いことがない。楽しくないし、自分もどんどん気持ちが滅入ってくるし、でもだからこそ、の今かなと思います。

だから楽しくあるために、相当自分から努力をしました。「楽しさのために魂を売った」というのはそういうことなんです。何よりも自分が本気で楽しんでいないと、Onの究極の目的を達成するのは難しい。だから、いろんな工夫をしました。漫然と日々を過ごしていると見落としがちな面白いこと、幸せを感じられること、そういう物事に敏感になろうとしました。仕事と直接関係ないように思われるかも使れませんが、仕事の「やり方」よりも自分自身の「あり方」が大事なのだと考えました。

最近、「Onはプロモーション、どうやっているんですか?」と聞かれることがあります。この短期間で成長した秘訣は?戦略は?と。すごくシンプルに言うと、「正直にオープンに、お店にもメディアにもエンドユーザーにも同じ言葉でコミュニケーションすること。一人ひとりの顔を見て誠実にお話すること。そして、自分自身がそれを楽しむこと」なんです。それは、おそらく「戦略」とは違います。だから、そういう話をすると、人は「なんだそんなことか」という顔をします。そして、「理想ですね。でも実際は難しい」と言われることも多い。

これは、誰にでも分かることですが、誰もがやっていることではないのだと思います。秘訣でもやり方でもなく、先ほど言った「あり方」。そのあり方を、キャスパーやオリヴィエは認めてくれました。「Japanチームを信じている。全部ヒロキとチームに任せた」と言ってくれる。その信頼には応えたいし、お店もエンドユーザーの期待にも絶対に応えたい。

そして、そういう「あり方」には、仕事中も仕事外もない。だから、自分の生活にはある意味でオンもオフもありません。それをOnでは「Never Not On」と表現したりします。これはクラウドという商品のキャッチコピーなんですけどね。いつでもOn、という意味です。いつでもOnということが、On Japanの社員に共通のものになっています。

今まで起こったいろいろな出来事に対して、Onの社員一人ひとりの「あり方」や生き方みたいなものを真っすぐにぶつけていくと、結果的に生まれてくるものはすごくOnらしいものになってきたんです。これからもそうやってみんなで「走る楽しさ」を伝え、共有し、広げていきたいですね。それが僕たちの夢です。

 

 

Lumina#69 P40-41に#MeetOnFriendsツアーでの出会いなど実際のエピソードを紹介しています。より詳しいエピソードは、後日WEBマガジンで公開予定です。★最新号Lumina#69には駒田さんの宮古島トライアスロン参戦リポートも掲載!

 

◎On Japan

◎関連インタビュー
共同創業者 オリヴィエ・ベルンハルドさんとキャスパー・コペッティさん「ふたりの創業者が見たニッポンの#OnFriendsたち」

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