アイアンマン世界選に挑む寺澤と
パリでメダル狙う米岡の「ドリームチーム」が実現
オリンピアンやパラリンピアンを輩出してきた国内実業団チームの雄「三井住友海上トライアスロン部」と、各世代・エリート選手の育成からエイジグルーパーへの指導までを多角的に展開する「サニーフィッシュ」は、
今季後半からプロとしてアイアンマン世界選手権出場に挑む寺澤光介(サニーフィッシュ所属)が、米岡聡のトライアスロンのガイドを務めることを発表した。
寺澤は、国内屈指の強豪実業団チームの所属選手で、Tokyo2020パラリンピック(視覚障がい)の銅メダリスト米岡聡のガイドに挑戦するとともに、トレーニングをともにすることで、⾃⾝の強化を図り、同チームの米岡とのペアでパラリンピックでのメダル獲得を狙う。
サニーフィッシュ所属のプロトライアスリート。トライアスロンショップHi-RIDGEスタッフ。小学2年から高校まで競泳に取り組み、大学時代からトライアスロンを始める。得意のスイムを武器にスタンダードディスタンスの日本選手権(東京・お台場)などで活躍後、2022年にロングの日本選手権(新潟・佐渡)に参戦、オリンピアンの小田倉真に次ぐ2位入賞したのをきっかけにロング転向を決意。2023年4月には宮古島大会で初出場・初優勝、続く5月のロング世界選手権(スペイン・イビサ島)ではトップから12%以内の30位で完走し、アイアンマンのプロライセンスを獲得している。12月のIM西オーストラリアでアイアンマン初参戦予定。1994年、岩手県生まれ。
プロ化した寺澤の目標は
2024年のKONA出場
寺澤と言えば、今年4月、国内ロングのメジャーレース宮古島大会での初出場・初優勝で鮮烈な印象を残したロングの新鋭だが、その宮古島後、参戦したイビサ島(スペイン)でのロング世界選手権(World Triathlon)で30位(優勝者タイムから12%以内)に入り、アイアンマンシリーズにプロカテゴリーで参加できる資格を獲得。
国内のロング男子選手としては、戸原開人に次ぐふたりめのプロライセンス保有選手となり、今後の躍進が期待されている。
寺澤が目下の目標として掲げている「2024年、プロカテゴリーでのアイアンマン世界選手権出場」を果たすために、さらなるレベルアップの方策を模索していたところ、三井住友海上トライアスロン部より、今回の協力について打診があったという。
ただ「ガイドとしての協力」にとどまらず、「寺澤光介の強化にもつなげて、より強くなった寺澤と組んでパリ(パラリンピック)でのメダル獲得にチャレンジする」といった趣旨の提案であったことから、寺澤と所属先のサニーフィッシュは、これに賛同。
晴れて、寺澤と米岡、サニーフィッシュと三井住友海上トライアスロン部との協力体制が実現に至った。
パラリンピックのメダリストと
ロングの新鋭、ふたつの挑戦
一方の米岡は、言わずと知れたブラインド(視覚障がい)カテゴリーのパラリンピアンで、現在は三井住友海上トライアスロン部でコーチを務める椿浩平氏とのペアで獲得したTokyo2020での銅メダルに続き、パリでのふたつめのメダル獲得に向け、国内外の大会で活躍する注目選手。
椿氏と果たした快挙をめぐるストーリーは、Lumina誌面でもその一部を掲載・紹介した『ふたつの25.75km: TOKYO2020 パラリンピック トライアスロン視覚障がいクラス日本選手とガイドの軌跡』(Lumina Books刊 電子書籍/竹中はる美 著)に詳しいところだ。
ブラインド(視覚障がい)クラスのパラトライアスロンでは、World Triathlon(旧ITU)のランキング対象レースには出場しないロングのトップ選手がガイドを務めることができるため、海外勢ではティム・ドンやベン・ホフマンら、アイアンマンでも世界トップクラスの実績を上げているアスリートが、その役を担うケースもある。
日本国内でも松丸真幸氏や河原勇人氏らロングの元プロ・歴代日本王者らがガイドとして活動しているが、現役プロ(IRONMANプロライセンス保有者)がガイドとしてパラリンピックメダル獲得に挑むのは、初めてのこと。
三井住友海上所属。ブラインド(視覚障がい)カテゴリーで活躍するパラトライアスリート。誕生後すぐに両眼に小児がんを発症し、右眼の視力を失う。10歳のときに左眼に網膜はく離を発症。20歳のときにブラインドランナーとしてマラソンをはじめ、25歳で競技者に。27歳でトライアスロン初出場を果たし、Tokyo2020パラリンピックに出場。エリート選手としても活躍したガイド椿浩平氏とのペアで、銅メダルを獲得している。
宮古島新王者で、これからの国内ロング界をけん引することが期待されているロングの新鋭・寺澤と、パラリンピック・トライアスロンの視覚障がいクラス男子で初代メダリストとなり、パラトライアスロンのさらなる発展をも担う立場となった米岡。
両者それぞれの挑戦が連動した、新たな取り組みの今後に注目したい。