すぐ復帰できると思っていたが
「女子アスリートは、母になると強くなるとよく言われますが、精神的には強くなったとは思いますがパフォーマンス的なことは、その意味がまったくわかりません。出産後、すぐに復帰できると思ったのですが、なかなか元の身体に戻らないですね」
アイアンマン世界選手権7回出場、エクステラ世界選手権6回出場、アイアンマンの2倍の距離のウルトラマン世界選手権2回出場などプロトライアスリートとして長年活躍してきた大川(旧姓・宮崎)康子。2014年のウルトラマン世界選手権では、ランニングパート84kmの歴代最高記録(6:54:56)を叩き出し、女子優勝を果たす。その後、ロングの女王は2015年10月に男児を出産。自然分娩で40時間頑張ったものの最終的に帝王切開することになったという。
「今から思うと、お産の時間は回復の時間と比例しているような気がします。40時間頑張った分、回復が遅かったですね」
お母さんは自分の時間がない
育児の合間に練習を開始したのが、出産5カ月後。1カ月の練習で、サイパンマラソンのハーフの部で優勝する。
「お母さんは自分の時間がないですね。基本、子ども中心になります。子どもが寝ていないとできないことを優先してやるようにしています。ごはんは、とりあえず起きていても作れるので、子どもが寝ている時にローラー台とかランニングとかしています」
大川さんの典型的な1日は、こんな感じだという。
5時半頃、起床し、朝ごはんと弁当を作る。弁当は、夫の分だけでなく、子どもと自分の分も作るのは、いつでも外に出る態勢を整えるためだ。日中は、できるだけ公園など屋外へ行くようにしている。子どもが小さい時は、ベビーカーだったが、最近は気候が良くなったので、ベビージョガーやママチャリで出かける。子どもをベビージョガーに乗せて走ったり、ママチャリだと行動範囲が広がるので、わざと坂道のルートを通ったりして、公園をかけ持ちすることもあるという。
子どもの昼寝の時間に合わせて帰宅。昼寝をしている30分から1時間の間に、ローラー台で練習。わずかな練習時間を無駄にしないように、自転車は常にローラー台にセットしていて、着替えもそばに置いてあるという。16時半頃、夕飯を作って、18時に夕飯を食べさせ、19時半にお風呂、20時に寝かしつける。子どもが寝たら、ローラー台か外に走りに行く。夜中にも何度か起きるので、大川さん自身は思う存分、寝る時間はとれないようだ。
「本当は子どもが寝ている時に、一緒に寝ていれば、睡眠時間が確保できるのだと思いますが、レースに出る出ないに関わらず、若い頃からずっと身体を動かしてきたので、身体を動かさないほうが、調子がおかしくなるんです。でも身体を動かしていると、何か目標が欲しくなるものですね」
今年はサイパンマラソンの50kmの部に出場し2位。また宮古島のトライアスロン大会にも出場した。育児の合間の3種目の練習の中で、スイムが最も時間をとるのが難しかったという。週1回のスイム指導の仕事の前日に実家に帰り、親に子どもを預けて、実家近くのプールで1時間だけ泳ぎ、翌朝、実家から仕事場まで6kmを走って往復し、仕事場から戻ってきてからも泳いで練習時間を確保した。
「スイムがいちばん戻っていないですね。泳ぎ始めた頃は、肩が痛かったです。宮古島はバイクが長く感じましたね。ローラー台がほとんどで、たまに外に乗りに行けても2時間くらいでしたから。子どもと一緒に宮古島に行っていたので、宮古島のレース中は、子どもを面倒見る余力を残してゴールしなきゃと考えながら走ってました(笑)」
HOKAなら、身体にダメージを残さずに走り続けられる。
大川さんが、出産後、復帰のパートナーとして選んだのが、HOKA ONE ONEのランニングシューズ。サイパンマラソンと宮古島は、HOKA ONE ONEの看板モデルともいえる「CLIFTON3」(写真)を使った。
「出産後、筋力が減ったせいか、体重も減りました。練習を再開してから、坐骨神経や股関節など、身体のあちこちが痛くなりました。帝王切開で腹筋を切って、弱くなった腹筋を使っていないのが原因かもしれません。
CLIFTON3は見た目が分厚い感じがしたのですが、はいてみたら厚みを感じない。筋力がなくなったせいか、柔らかめのソールが心地よく感じました。台形状に底が広がっているので、着地したときにグラつきがなくて安定感がありました。足首がピタッととまる感じ。坐骨にも響かなくて快適でした。
身体にダメージを残さないで、長い距離を走るにはちょうどいい。HOKA ONE ONEはレベルや距離に合わせていろんなラインアップがあるのが、いいですね。もう少し筋力が戻ってきたら、柔らかさとスピードを兼ね備えたTRACERにしてもいいかと思っていたので、次のレースの皆生では、TRACERを試してみようかと思っています」
宮古島大会の後、5月には、アジア初開催の二人一組でスイム区間とラン区間を繰り返すスイムランレースに参加した。ママ・プロトライアスリート仲間の西内真紀さんとチームを組み、見事優勝。初代の女子アジアチャンピオンチームになった。
「欲張りなんですかね。いろんなことをやりたい。もともとトライアスロン1本じゃなかった。トレランとか、アドベンチャーやエクステラにも出ていたし。今後は楽しみの要素を増やして、エンジョイしながら復帰していきたいですね。
昔は、やりたいことはなんでもやりたいと突き進んでいました。骨折もしましたね。でも今は守るものができたので、ケガをしちゃいけないなと思います。子どもを産んで精神的に変わりましたね。もちろん大会に出れば、上位を狙いますが、あわよくば、獲れたらラッキーというくらいの感じで。いつになるかはわかりませんが、もう1回ウルトラマンに出たいという気持ちはあります。息子の成長とともに、徐々に楽しみながらそこに向かっていけたらと思います」
おおかわ・やすこ
アイアンマンやエクステラなどロングを主戦場に2000年代から活躍する女子プロトライアスリート。旧姓宮崎。日向汰(ひなた)という息子さんの名前は、みんながまわりに集まってきて、みんながハッピーになってくれるような人に育ってほしいとの願いから、康子さんが名付けた。