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特集「あなたにとって最高のトライアスロン体験って、何ですか?」
file.07 彦井浩孝さんの場合
1993年のビーバーフリーザートライアスロン。
そのレースがなければ、僕自身のトライアスロンライフは違うものになっていたかもしれない
トライアスロンを始めてからこれまでの30年間、毎年欠かさずさまざまなレースに出場してきた中では、どのレースとして同じ体験はなく、どのレースもいつも新鮮で感激に満ちたものばかりです。
だからこそ飽きもせず30年間も続けていられるのだと思いますが、どのレースに出場する場合でも欠かせなかったことが、やはり一生懸命にトレーニングすることでした(成果はともあれ……)。
最高のレースエクスペリエンスを得るには、トレーニングなどの事前の準備でいかに最高の自分になれるか。この一言に尽きると思います。
ロングのレースなどでは、レース時間の長さもさることながら、トレーニングに割く時間も長くなるため、それなりの努力が必要になります。また、トレーニング期間中では家族や仕事とのバランスをとりながら取り組む必要がありますし、怪我や病気などの思わぬトラブルが起こることも。
それらを乗り越え、最善を尽くしてレース本番を迎え、さらにレース中の困難や苦痛に耐えて成し遂げたフィニッシュの瞬間は、それまでのすべての努力と情熱に報いるものとなり、どのレースであっても最高のエクスペリエンスを与えてくれるものです。
これまで経験してきたレースの中から最も印象の深いレースをひとつだけ挙げることは難しいですが、そのレースがなければ僕自身のトライアスロンライフもまた違ったものになっていたのではないかというレースをご紹介します。
凍えるような4月、オレゴンの田舎町で最高のレース体験
そのレースは、アメリカ・オレゴン州コーバリスという田舎町で1990年ごろから開催されているもので、「ビーバーフリーザートライアスロン」というスプリントレースです。
「ビーバー」というのはこの町にある大学のマスコットがビーバーであり、「フリーザー」というのは、当時、全米で最も早い4月に開催され、文字どおり「凍えるような」天気の中行われるレースであるからです(ただ、スイムは室内プールで行われるのですが……)。
このレースに、僕自身がその町で生活を始めたばかりのときに出場しました。1993年4月のことです。
英語でのコミュニケーションもまだうまくできず、知っている人も日本人も誰もいない中でのレースでしたが、運よくトップ10に入ることができました。そうすると、「あの日本人は誰だ!?」ということになったようで、いろいろな人から声をかけてもらえるようになりました。
おそらく、多くのトライアスリートが海外のレースで経験することだと思いますが、レース前のテンションから解放されたフィニッシュの後はみんながフレンドリーになり仲良くなれるものです。
ただ、日本からのストレンジャーが初めて住む町でのこの最初の経験は、さまざまな不安や緊張感をも取り除いてくれ、それからの生活を楽しくしてくれるには十分な価値のあるものでした。
そして、その時以来、そこで出会った友人とは今でも家族ぐるみの交流があり、年に一度程度ですが、世界のどこかのレースで再会を重ねています。
同時にお互い年を重ねましたが、彼が今でもトライアスロン(アイアンマン)にチャレンジしていることが、僕にとってのチャレンジへのモチベーションのひとつにもなっているのです。
「ビーバーフリーザートライアスロン」http://www.osubeaverfreezer.com/
今年は4月1日に開催。毎年プロトライアスリートも出場するほど西海岸ではよく知られるレースになりました。
■著者プロフィール
彦井浩孝(ひこい・ひろたか)
博士(Ph.D.)。専門は運動生理学・栄養学・トレーニング学。2013年から米リブストロング・ファンデーションのリブストロングリーダーとして活動中。Japan For LIVESTRONG代表。自身ベテラン・トライアスリートで、アイアンマン・ハワイ(世界選手権)には11回出場の経験をもつ。
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