特集「あなたにとって最高のトライアスロン体験って、何ですか?」
file.03 八尾彰一さんの場合
1994年10月15日(土)アイアンマン・ハワイ
今も昔もトライアスロンの聖地といえばコナです。
私がトライアスロンを始めたのが1985年です。ほとんどの方がコナを目標に頑張っていたことを思い出しました。当時、22歳だった私も憧れて、トレーニングで226㎞を完走する体力を着ける努力をしていました。
1988年に初参加。確か10時間30分ほどかかりました。身体がキツく感じたことも確かですが、レース中、選手同士で励まし合いながらフィニッシュを目指したこと、フィニッシュ後はお互いの頑張りを称え合ったことが、とても新鮮で、素晴らしいスポーツだと実感しました。
その後は、実業団選手となり100位以内を目標にチームメイトと一緒にハワイを目指しました。
94年のレースは忘れられません。目標が達成されたことではなく、不思議な経験をしたことが忘れられないのです。
この時は、ヒザの手術を12月に控えての状態で痛みとの戦いでした。レース中、コナの激坂にさしかかった時、沿道にいた小美野通さんが必死になって声援を送られる姿を見て鳥肌がたちました。私自身、その姿に感動していました。
すると不思議なことが起こりました。先ほどまで痛かったヒザの痛みが消え、身体が元気になり、フレッシュな状態まで復活したのです。結局そのまま快走が続きあっという間にフィニッシュにたどり着きました。
感動すると疲れない!
心で走ることを体験した瞬間でした。
あの体験があったからこそ、心をより深く学ぶようになりました。
ただ結果を求めていたら、ヒザを痛めているのでチャレンジをしなかったかもしれません。コナに行けば何かが見つかる。トライアスロンの原点に戻って自分を見つめ直すという思いがあったからスタートに立ったのだった--と薄っすらと記憶が蘇りました。
私にとっては、自分を変えるきっかけになった最高のレースではないでしょうか。
心を育てるトライアスロンの話
益は無くとも意味はある(晏子)
見返りの得られないことに対してどれだけ真剣に取り組めるか。この基準が人物を左右する。という意味でもあります。
直ぐに成果が得られなくても積極的に取り組める心をもつことにより努力そのものに意義を見出せるようになるのです。小原工さんの座右の銘。「努力無限」も同じ意味でしょう。LM
■著者プロフィール
八尾彰一(やお・しょういち)
チームブレイブ監督。田山寛豪、西内洋行、小原工らオリンピック代表選手や、谷新吾らアイアンマンのプロをはじめ、エリート選手の育成に取り組み一方で、20年近くエイジグルーパーの指導も手がけている名指導者。自身も元トップ選手で、現役時代は宮古島やアイアンマンなどで活躍した
すばらしい!
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