【Interview】北條 巧「そして闘いは次のステージへ」

投稿日:2022年4月5日 更新日:


ルミナ編集部

text by:

北條 巧
Takumi Hojo

東京オリンピックの代表入りを逃した直後、その鬱憤を晴らすかのようなパフォーマンスでWTCSグランドファイナル十傑入り。今季からプロ化して、海外に拠点を移すというTeam JAPANきってのスター選手は、今、何を思いどこへ向かおうとしているのか?

文=東海林美佳  写真=小野口健太

そして闘いは世界のステージへ。

――今年からプロとして始動しているそうですね。

はい。プロでやりたいっていうのは社会人になる前からあって、ただそのタイミングについてはあまり決めていなかったんですが、去年、世界トライアスロン選手権シリーズ(WTCS)のグランドファイナルに出た時にいろいろと気づきがあって、海外拠点で練習したいと思うようになったんです。

実行するにあたって実業団に所属したままだと難しいということで、博慈会をやめるという決断に至りました。もうすぐ日本を発つ予定です。

――海外拠点でやりたいと思う一番大きな理由は何ですか?

東京五輪の前から掲げてきた目標として、パリ五輪でメダルを獲る、ということがあるんですが、それを実現するために必要だと実感したからです。昨年、エドモントンで行われたWTCSグランドファイナルで9番という順位でゴールできたことで見えてきたことがあって。

それまで横浜大会で30番台、40番台だった中、初めてひと桁順位でゴールしたら、よりリアルに自分に足りないものがわかってきたんです。それまでは海外拠点でやるなんて絶対ないと思ってて、ずっと日本で練習してパリでメダルを獲るっていうプランだったんです。

でも海外レースでトップ選手の近くで戦ってみたら、勝てない要因は何なんだろうって余計思うようになって、それを知りたいっていう気持ちがどんどん出てきちゃったんです。戦えるランクが上がってやっと気づいたという感じです。

東京五輪の約1カ月後、ブルンメンフェルトら世界の強豪ひしめくWTCSグランドファイナルで9位入賞を果たした ©Media Triathlon World/Tommy Zaferes

――これまでずっとコーチなしでやってきたそうですね。

トライアスロンを始めた大学の時からずっとです。大学時代は各種目に強い選手がいたので、種目別に手分けしてみんなでメニューをつくってやってました。トライアスロンの知識が乏しい中でやっていたので最初は「なんかこれ違うなー」っていうのが結構多かったんです。

それでもトップ選手の練習メニューを調べながら試行錯誤して、4年生の頃には結構いい感じのメニューになってたと思います。よかったのは考えながら練習ができたことですね。ただ与えられたメニューをやるだけでは考えなくなっちゃうと思うんです。

自分たちでメニューをつくれば、なぜこの練習なのかって必ず考える。そういう機会になっていたように思います。中学、高校時代の水泳の先生も「自分で考えてやってみろ」

という方針だったので、そういう癖がついてるんだと思います。大学卒業する時に「コーチはつけないのか?」って周囲に言われたんですが、まだ自分でやることで伸びると感じていたので、いけるところまでひとりでやってみようっていう感じで今に至ってます。

――そのスタイルがご自身に合ってたんですね。

そうだと思います。ひとりだと自分の判断ですぐ動けちゃうので、面白いと思ったトレーニング法をすぐに取り入れられるんです。3種目あるので、その専門の競技のトップ選手に聞いたりもして。

先日は豊洲にあるアシックスの施設でトレーニングしてたんですけど、競泳の日本トップ選手などいろんな選手が来ていて、一緒に練習させてもらいながら、トレーニングメニューのことなんかもいろいろ聞きました。

指導者がいるとそういったことを実際に練習に組み込むまでに時間がかかったりするんですけど、ひとりならすぐ練習メニューに落とし込めるのがラクですね。バイク、ランもこのやり方でやってきて、今も進化できてる感じです。

――練習パートナーも特につくらずにやってるんですか?

基本ひとりです。ランのインターバルは、大学の同期の友人に自転車でペーサーをしてもらったりしてました。自分の力以上のギリギリのペースで引いてもらって、ランニング単体としてはそれで速くなった感じがあります。

でも、昨年の横浜で自信をもってレースに出たら全然走れなかったんです。トライアスロンのランは、単体のランとは何か違うぞと気づいて、そこからストラバで海外選手の練習を見たら、メインの練習が全然逆だった。

レースよりちょっと遅いペースで長い距離を走ったりしてて、あ、そっちだったのかって。横浜が終わってから2カ月は逆にそれしかやらなかったら、エドモントンでうまく実力を発揮できたので、実力をつける練習と発揮する練習っていうのは違うんだと思いました。もちろんその前にやったスピード練習があったからこそあれだけ走れたとは思うんですけど。

昨年10月に韓国で開催されたワールドカップでも2位に入るなど好調を維持している ©Media Triathlon World/Janos Schmidt

SNSには載らないトレーニングが絶対にある

――今も自分で考えて、調べてトライ&エラーを繰り返してるんですね。海外選手のトレーニング情報は今もマメにチェックを?

はい。その体験からかなりマメに見るようになりました。それで結構わかることも多いんですけど、ここに出していない練習は何なんだろうって思うようにもなって、それでやっぱり海外に行こうって。絶対隠してるやつあるなって思うんで(笑)。

――エドモントンで感じたことについて、具体的に教えてください。

みんな思っていたより余裕あるなって感じました。種目ごとの実力で言ったら自分とそんなに大きな差はないと思ってるんです。ランニングの部分はまだ戦えないですけど、スイムとバイクに関しては。何が違うのかっていうと勝負どころを知ってるかどうかなんじゃないかと思うんです。

今後世界でメダル、ってなった時に必要なのはその戦略の部分かなと。同じタイムで走っていても、そこでどれだけ余力があるか。ギヤをあと何枚残しているか。相手のその部分がわかってくると別のレースができる。結局僕は最後1周で離れちゃったので、その先をまだ知らないんですよね。

――エドモントンの1戦で相当いろんなことを吸収しましたね。

そうですね。かなり大きい体験でした。でもメダルを獲りたいっていう目標がなければ気づけなかったことでもあると思います。

©Media Triathlon World/Tommy Zaferes

東京に出場することは目標ではあったんですけど、パリでメダルを獲るための過程としてしかとらえてなくて、選考落ちした時に悔しいっていう気持ちがあまりなかったんです。たまたま自分のプランより早く日本チャンピオンになれて、期待も膨らんでいたので、出たい気持ちはあったんですけど。

周りの方たちがすごく残念がってくれた時、東京に賭ける気持ちが足りてなかったのかなって少し思いましたけど、それ以前にこんなんでパリでメダルを獲れるのかっていう不安が一番最初によぎりました。今は、あの時東京に出られなくてよかった、と思えるような経験にしたいと思ってやってます。

出てたら安心しちゃって、危機感がなくなってたかもって思うんです。神様がパリへのメダルに向けての発奮材料をくれたのかなって思ってます。選考落ちがなければエドモントンで9位になることもなかったし、海外に行く決心もつかなかったので。自分はかなりポジティブ思考なので、そういう風に考えちゃうんですよ。

――それまでの過程で得たものはありますか?

ノルウェーとの合宿は大きな体験でした。一緒に練習したブルンメンフェルト選手が金メダルを獲ったことで、その体験がものすごく価値あるものになったと思います。実際一緒に練習しているので、この場面ならどれぐらい余力が残ってるかとか、そのあたりのことが、ノルウェー勢に関してはわかったうえでレース全体を見ることができた。

一緒にレースしちゃうと見れない部分も見ることができたし、練習の時の体験と合わせて見るとよりわかりやすかった。金メダルの獲り方を見せてもらった感じです。合宿でもブルンメンフェルト選手はすごかったです。

合同練習の時、僕は本気で戦いに行ったんです。なのに調整でやってる彼に1本も勝てなかった。しかもノルウェー勢は僕ら日本チームが終わった後に、もう1セットブリック練習をやっていて、さらに速いタイムで走ってた。これは敵わないって思いました。

宮崎でのこの合宿は10日間ぐらい。全部見せてもらえたわけではもちろんないですが、それでも相当の学びがあった。パリでは彼らと戦うわけで、その上を行くためにどういう方法をとるか、それを考えてます。

©Media Triathlon World/Janos Schmidt

――その視点を常に持ちながらやるっていうのが北條さんの強みですよね。そういう思考は昔からですか?

競泳をやってた頃はそこまで考えてなかったと思います。やっぱりトライアスロンを始めてからいろんな面で成長できているんだと思います。

――ここ2年、世界的なパンデミックという状況下でレースが中止になったりする中、どういうモチベーションを持ってやってきましたか?

自分はアニメ好きなんですけど、『ワンピース』で、自分が弱いって知った時に、2年後に強くなってまた会おうっていうシーンがあるじゃないですか。コロナで自粛期間に入った時、真っ先にそれを思い浮かべました。

世界で全然戦えてない日本人が、2年後、レースが再開した時に「何だこいつ!?」って思われるほど強くなってるっていうのを想像してひとりでワクワクしてました。

世界のレベルに追いつくには時間が必要で、追いつくための時間をもらえたぞって思ってやってきました。フタを開けてみたら世界でもやってる人はやっていて、追いつくと思ってたら世界も一緒にレベルが上がってましたけど(笑)。

プールで泳げない期間はトラックで自己ベスト出してる選手も結構いて、ヘイデン・ワイルドなんかはそうやって東京でメダルを獲ってる。自分としてはやられたなって思いました。

この春からヨーロッパへ活動拠点を移し、さらなる高みを目指す北條。日本を発つまでは地元・埼玉県北本市で準備を進めている ©Media Triathlon World/Janos Schmidt

――「トライアスロンの価値を上げたい」って公言されてますけど、具体的にはどういうことなんですか?

プロスポーツの本質って、見てくれる人に夢や勇気を届けるということだと思うんです。自分も昔サッカーをやっていて、憧れのプロサッカー選手みたいになりたいとか、その選手が頑張ってるから自分も頑張ろうとか、そういう気持ちにしてもらっていました。

自分がトライアスロンで日本一になって、今度は自分がそういうものを発信できる立場になったけど、トライアスロンというスポーツを知ってくれている人がまだまだ少ない。だから、このスポーツのことをもっと多くの人に知ってもらいたいと思うんです。

まずは自分がパリでメダルを獲るためにやっていることを、さらけ出す形でYouTubeで発信していこうと思っています。2025年を目処に日本でドーム型トライアスロンを開催するというプランも描いていて、音楽と融合するとか競泳やランニングなど異種競技のトップ選手とも競える形にするとか、アイデアはすでにいっぱいあるんです。

――北條さんの自由な発想にこっちまでワクワクしてきました。ご自身にとって、トライアスロンとはどういうものですか?

一番感じているのは、努力すればするだけ成果として出るっていうことですね。何事もそうなのかもしれないですけど、トライアスロンは特に練習してる人のほうがしてない人より勝てる競技だと思います。

自分は若くして日本選手権で勝ったので天才肌だと思われている節があるんですけど、全然そうじゃない。高校までは競泳をやってる普通の人だったんです。

トライアスロンを始めてから、目標を決めてそれに向かって努力してきての今なので。ただ最近は努力っていう感じでもなくなってきてるんですよね。以前は自分にストレスをかけて、やるぞ!っていう感じでやってたんですけど、今はもっと自然に楽しめてる。

練習自体をゆるくしているわけじゃないんですけど、練習が苦じゃなくなってきたというか、むしろもっと練習したいっていうか。本当に最近のことなんですけど。自分、成長したのかなって思ってます。

©KentaOnoguchi

Takumi Hojo
1996年埼玉県生まれ。NTT東日本・NTT西日本所属。高校まで14年間競泳に取り組んだ後、日本体育大学でトライアスロンを始める。2017年日本選手権で頭角を現し(4位)、2018/2019年と日本選手権連覇。TOKYO2020の代表入りを逃すも、その約1カ月後に開催されたWTCSグランドファイナルで9位に入るなど、好成績を連発。今季よりプロトライアスリートとして独立。海外に活動拠点を移して、世界を転戦する。

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