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旅烏の「徒然グサッ!」〈9〉ブエルタのステージを体感

投稿日:2017年9月11日 更新日:


謝孝浩

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箱庭のようなエイバルの街を眼下に望む

※前回の【旅烏の「徒然グサッ!」〈8〉佐渡、真野湾に浮かぶ桟橋】はこちら

旅烏の「徒然グサッ!」〈9〉

Lumina誌面でおなじみの「旅烏」こと作家でトライアスリートの謝 孝浩さんが、日々のトライアスロンライフで心にグサッときたことを書き綴るショートエッセイ

『ヌーが見た空』の舞台を訪ねる scene#06

ブエルタ・ア・エスパーニャのステージを体感

「ブエルタ・ア・エスパーニャ2017」が、9月10日の最終ステージで幕が下ろされた。「ツール・ド・フランス」、「ジロ・デ・イタリア」と並ぶグランツールのひとつであるこの大会は、今年で72回を迎えた。

今回は、8月19日のフランスのニームの第1ステージのチームタイムトライアルを皮切りに、フランスとスペインの間の内陸国アンドラを通過し、スペイン各地を巡る21ステージで、総距離にして、3297.7 km。

「ブエルタ・ア・エスパーニャ」といえば、『茄子 アンダルシアの夏』というアニメ映画を思い出す方も多いだろう。スペイン南部のアンダルシア地方の褐色の美しい景色が印象的だった。

2012年10月、スペイン北部のバスク地方を旅していた時、その年の「ブエルタ・ア・エスパーニャ」の山岳ステージのほんの一部を自転車で上ったことがある。その年は、バスク地方もいくつかのステージが組み込まれていた。僕が上ったのは、第3ステージの最終部分の10 km。標高差500mの最後の10 kmのヒルクライム部分だった。

第3ステージの最終地点アラテの教会

次第に高度をあげていくと、右下のほうにエイバルという街が箱庭のように見えてきた。この街は、かつて軍事産業が盛んだったが、第二次世界大戦が終わってからは、他の機械産業へと変換していった。そのひとつが自転車産業で、あのオルベア社もこの地にあった。

丘の上に移転したオルベアの社屋前で

第3ステージが終わってから1カ月半近く経っていたのだが、路面にはさまざまな選手の名前が書かれたままだった。あとで調べてわかったのだが、バスク人のバスク人によるバスク人のためのチームとして有名なエウスカルテル・エウスカディに所属する選手の名前だった。地元のチームに対する熱い思いが伝わってくる。(2013年を最後に、このチームは解散している)

路面いっぱいに書かれている「LANDA」は、エウスカルテル・エウスカディ所属のミケル・ランダ選手の名前

プロのロードレーサーには何のこともない坂だと思うのだが、きつい斜度の坂がずっと続くので、かなり頑張ってこがないと気力が萎えそうだった。一度止まってしまったら、二度とこぎ出せない感じだ。

しかし粘り強くひとこぎひとこぎ上っていると、終わりがないように思えた坂の先に石造りの建物が見えてきた。アラテという集落の教会で、そこが第3ステージの最終地点でもあった。

ほんの少しではあったが、グランツールの一部を体感したことは、身体と心に強く刻まれたような気がする。そして、このヒルクライムの体験は、小説「ヌーが見た空」に反映されている。

※次回の【旅烏の「徒然グサッ!」〈10〉自転車に優しい街 スペイン・サンセバスチャン】はこちら


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■著者プロフィール
謝 孝浩 (しゃ・たかひろ)
1962年長野県生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。 在学中には探検部に所属しパキスタン、スリランカ、 ネパールなどに遠征する。卒業後は秘境専門の旅行会社に就職し、添乗員としてアジア、アフリカ、南米など世界各地を巡る。2年で退職し、5カ月間ヒマラヤ 周辺を放浪。帰国後はPR誌、旅行雑誌、自然派雑誌などに寄稿するようになる。現在は、トライアスロン雑誌での大会実走ルポなどを通じて日本にも目を向けるようになり、各地を行脚している。著書にルポ『スピティの谷へ』(新潮社)、小説『藍の空、雪の島』(スイッチ・パブリッシング)など。http://www.t3.rim.or.jp/~sha/

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