KONAチャレメンバーで唯一、セントジョージ出場を決めた岡田健士朗さん
3カ年でアイアンマンの世界選手権出場を目指す、チャレンジ企画の最高峰。「KONAチャレ3カ年プロジェクト」として2018年から2020年までの期間中にKONA(世界選手権)出場を決めたのは、
皆川亜紀子さん(世界選手権に出場済み)、孫崎虹奈さん、岡田健士朗さん、東度久美さん、小泉邦明さん(2022年出場予定)。5人に加え、アイアンマン・フィリピンでエイジ優勝した牧野星さん、先のアイアンマン・ケアンズで9時間26分45秒の好タイムで田所隆之さんが世界選手権への切符を勝ちとった。
5月7日に行われた2021年のアイアンマン世界選手権セントジョージに、ケンケンこと岡田健士朗さんが出場。レポートしてくれた。
参考記事:KONAチャレメンバーのプロジェクト振り返り>>https://lumina-magazine.com/archives/news/20818
コロナ禍をどう過ごしたか、KONAチャレメンバーの座談会はコチラ>>https://lumina-magazine.com/archives/news/23712
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スロット獲得から2年半 紆余曲折の日々
2019年のアイアンマン台湾でスロットを獲得してから約2年半。待ちに待った、「Ironman World Championship」がやってきた。
スロットを獲得したとき、いろいろな方から「おめでとう」という言葉をいただいた。その中で、白戸太朗さん、TK(竹谷賢二さん=KONAチャレのプロジェクトリーダー)からは「ここからだから」そう言われた。今、まさにそうだと実感する。
KONA獲得時のタイムは10時間26分00秒。はっきり言って遅いが、本番レースまでにどこまで速く、強くなれるか考え、SUB10を目標に行けるとこまで行こう、そう思ってた。
2019年10月にアイアンマン台湾が終わって年末くらいまでは順調にトレーニングをしていたが、その年体調を崩していた祖母の体調がさらに悪化、そのままIronman World Championshipでの姿を見せることはできなかった。
これはかなり堪えた。悲しみが押し寄せてきて、朝起きて気が付いたら夕方。そんな日々が続いた。しばらくして、仙台でのひとり暮らしを終え、実家のある愛知に戻る。10月にはKONAだ。それがそのときは唯一といっていいほど支えになっていた。
そんな日々も日が経つにつれ、気持ちが回復し、レースへのモチベーションが湧いてきた。そこに延期を伝えるメールが届いた。やっぱりか。予想はしていたが、やはり落胆した。
理由は言わずもがな、COVID-19によるものだ。2020年10月から2021年2月に、さらには10月、2022年2月、そして度重なる延期の末、2022年5月セントジョージ、10月KONAでの開催が決定した。今後は、5月のセントジョージか10月のKONAかの選択を迫られることになった。
KONAチャレのメンバーの孫ちゃんや東度さん、小泉さんはKONAを選ぶだろう。それまでに開催するアイアンマンで他のメンバーがスロットを獲得する可能性だってある(マッキーさんや田所さんも獲得!)。みんなで行きたい。
でも……自分が獲得したのは2020年のスロット。2020年、2021年大会の延期がセントジョージなのだから、順番的にはこっちかとか、ハワイ以外での開催は初めてなので、これはこれで面白いかもしれない、と考えを巡らせた。
悩んだ結果、セントジョージにした。コースマップを見るとすごいアップダウンだ。登り対策をしようとか、パワーが足りないからもっと筋トレをとか、トレーニングに対しても意欲がわき、レースに対しての思考はかなりポジティブになってきた。
しかし、2021年12月に右脹脛靭帯を痛めてしまう。走ることはおろか、バイクもしっかり踏めない。さらに、飛行機や宿、PCR検査の手配、英語への不安などが重なり、ストレス過多の中3月末に左脹脛が軽い肉離れ状態になってしまう。
このタイミングで最悪だったが、1カ月後には1㎞5分ペースで30㎞走をしても問題なさそうだし、バイクでもFTPが向上して320w、体重は67㎏、いろいろと不安があるものの、レースの準備を進めた。
出発日、愛知から新幹線で東京、羽田空港へ、そしてサンフランシスコでのトランジットを経てラスベガスへ。何とか決戦の地へたどり着いた。
KONAとは何もかも違うセントジョージに挑戦
アスリートチェックインを済ませ、腕にリストバンドを巻いてもらうと、久々のレースにワクワク、ドキドキ、プレッシャーを感じながらも、ここへきてようやく安堵感があった。やっとレースに出られる。
そもそも本当にレースが行われるのか? とか、PCR検査の結果が陽性で渡米できないんじゃ……という、不安やストレスを日々抱えていたために、なかなかレースの実感をもてずにいた。
レースは5月7日土曜日。現地入りしたのは4日水曜日。とはいえセントジョージに着いたのはもう夕方だったので早々にホテルに入り、バイクを組み立てる。タイミング良く移動中飛行機で寝ることができたので、大きな時差ぼけはなかったが、移動による疲れもあり早々に眠りについた。
次の日、朝一でメイン会場に向かう。ホテルからは少し離れてはいたが、歩けない距離ではないし、気候に身体を少しでも慣らそうと、軽く走りながら向かった。
1km6分前後のペースで走っているのに、喉の渇きが激しい。乾燥対策にのど飴やリップ、ハンドクリーム等を持ってきていたが、これほどまでとは……と驚いた。
今思えば、レース前にもう1日余裕があって、もっと身体を動かすことができれば、水の摂り方などを戦略的に考える余地もあったかもしれない。
でも、このときは「気温も高く、乾燥も激しい。脱水や熱中症に気を付けないと」ということで頭がいっぱいで、熟考することができなかった。
ストアやEXPOのあるメイン会場に着き、いろいろと見てまわっていると、トッププロが普通に歩いている。当たり前の光景かもしれないが、ついつい浮かれてしまう。
チェックインやストアでの買い物を済ませ、今度はレース説明会へ。「スイムの水温は15度くらいです。当日の朝、試泳はできません」とか「登りはきついですよ」といった説明を聞くといよいよ明日なんだ、と緊張と不安が増してきた。
夕方にはウェルカムパーティーが行われ、従来のIRONMANが帰ってきたのを感じる。ただ、このパーティーには参加していない。会場までは行ったが、あまりにも長蛇の列で、ここで時間を使ってちゃんと食事できなかったら嫌だと思い、パーティー参加は諦めた。
空いた時間に、ホテルから100mほど行くとバイクコースなので30分ほど乗ることにした。結果的に、このタイミングで乗っておいて良かった。日本でのトレーニングでは全く気にならなかったが、スピードが出るとリアホイールが縦ブレを起こす。ブレの要因はバルブによる重心の偏りだろう。40km/hを超えるあたりから感じ始め、45km/hで危険を感じる。
すぐにホテルに戻り、テーピングテープとリムセメントのチューブをカットして作った重りを張る。場所を何度も変え微調整していく。ようやく納得の行く場所が見つかり、振れも収まった。これをしていなかったら、と思うとゾっとする。
翌朝、目が覚めるとまだ日の出前。ジョグがてら近くの小高い丘へ。日の出が見られないかな? と思ったが、雲に隠れたまま日が昇った。雲に隠れていることもあり、暑くはなかったが、やはり喉はカラカラだ。
10時にT2バックを、13時にT1バックとバイクを預けに行く。
T1の入口は、さながらレッドカーペットで、さまざまなメディアやブランドがバイクのカウントをしており、まだレースでもないのにフェンス越しにはプロを見に来たファンや、選手の家族が集まっている。レースDJが選手の名前を読み上げたりと、すごい熱量だった。
早目に夕食を済ませ、ホテルに戻り横になる。不思議とあまり緊張はなく……と言いたいところだが、全く眠れない。興奮、緊張、不安。自分でもなんと表現すればいいか分からないが、ときたま涙が出たりして驚いた。それでも何とか23時ごろには寝たと思う。
予期せぬことに対応する力が試されたスイム
レース当日、スイム会場までのシャトルバスも時間指定だ。遅れないように早めに向かう。寝られなかったわりに身体は軽く、調子は良さそうだ。KONAのクオリファイを獲得した2019年ほどのトレーニングを積めたわけではなかった。年末に右ふくらはぎ、3月末に左ふくらはぎを痛めもした。それでも、アイアンマン台湾(2019年大会、世界選手権出場権を獲得したレース)のときくらいの動きの良さはあり、フィニッシュの目標タイムを10時間30分00秒と考えていた。
スイム会場に着いたときには、すでに多くの選手がいたが、それでもまだ3分の1程度だろうか。すごい人数だ。バイクのセットを済ませ、適当に歩いていると、白戸太朗さんをはじめ日本人グループが集まっていたのでそこに合流。
スタートを待つ。
スイムに自信はない。「誰もが自分より速い。だから落ち着いていこう。周りに流されるな。普通に泳げばいいんだ」スタート前はいつもこう思う。ただ、今回ばかりは勝手が違った。スイムの目標は1時間15~20分。3.8㎞1周のコースなのでビーチランで稼ぐことはできない。
いよいよ入水。試泳がない分、身体は温まっていないものの、ほぐしておいた肩の動きは悪くないし、水温の低さもあまり気にならない。泳いでいる感覚もバタつくこともなく、遅いなりにしっかり進めている感覚がある。
「よし、大丈夫。周りに流されるな、落ち着いていこう」やはり、周りは速く後ろに付くことはできないし、後続からどんどん抜かれる。
それでも1500mの時点で時計を見ると30分切るぐらいで泳いでいる。自分としては悪くない(後に分かったが、GPSがうまく測位していなかったので1500mも泳いでいない)。2個目のブイを過ぎたあたりで、左ふくらはぎがつる。3月末に痛めていたところだ。もともとキックをあまり打たないので、このときは影響が少なく、泳ぎながら回復した。
その少し後、3つ目のブイを曲がった直後だった。近くをモーターボートが通ったようで、急激な波が立つ。海の波なら周期があるので割とすぐに対応できるが、変則的な波にやられて、少しパニックになる。
フォームが崩れ、身体が沈み、進まないからあわてる。さらに水を飲む。負の連鎖だ。それに加え水にガソリンの臭いが残る。半分酔ったような状況になり一度しっかり立て直そうとフロートに掴まる。
1分ほど呼吸を整え、自分を落ち着かせ、再び泳ぎだす。ただ、スイムに自信がないので、ネガティブな感情が脳を支配する。身体がどんどん動かなくなり、焦ってキックを打ってしまい再び足がつる。それでもなんとか最後のブイを回り、スイムフィニッシュが見えると、安心感から元気が出てくる。ギリギリの状況で何とか泳ぎ切って、時計を見る
1時間44分……。
予定よりも25分も遅いことに焦る。1500mの通過は悪くなかった。そこから動かなくなったとはいえ、そこまで落とした感覚はなかった。そんなことをいろいろ考えても仕方ないので、すぐに切り替えT1をダッシュする。
力の差を見せつけられたバイク
アミノバイタルのパーフェクトエネルギーを1本摂り、バイクへ。残りの台数が少ないのは仕方ない、1時間前後で上がる選手ばかりなのだから。焦る思いはあるが、落ち着いてペダルをこぐ。
ケイデンス95前後、パワー220-230Wを維持して巡行する。序盤の登りでは無理をせず、身体を伸ばしつつクルクルと。そんな自分を横目にディスクをはいた男子選手はもちろん女子選手たちがガンガン抜いていく。
TK(竹谷賢二さん=KONAチャレのプロジェクトリーダー)の言っていた「ゴボウ抜かれ」だ。正直ガンガン抜かれることに慣れてはいない。が、それで動揺することはなかった。
それよりも……暑い、乾く、そっちのほうが問題だった。スイムアップの後、日差しが強く暑いなと感じていたし、バイクスタートから2~3分後にはウエアがすっかり乾いていた。
「こまめに水分を補給しなきゃ」
このときはこれしか考えていなかった。普段は、水を15分に一度、補給を20分に一度の間隔でひと口程度摂る。このように、時間をしっかり意識しておかないとうっかり忘れてしまい、後でいっぱい食べたり、エネルギーが間に合わなくなってしまうからだ。今までの経験からこうしている。
それが、1分もたたず口が乾いてくるので10分とか5分、登りだと2~3分で水を飲んでしまう。それに身体にも水をかけていた。
別にそれでもいいじゃないか、と思われるかもしれないが、スイムで予定よりも遅かったので、外気は暑いのに身体はすっかり冷えてしまっていた。それによって、内臓も働きが悪く、それに気が付かず、表面の暑さだけで身体に水をかけ、機能の低下した胃袋に吸収量以上に水を注いだので徐々に調子は下降気味に。
胃は水でいっぱいになっているので、ジェル等の補給食を受け付けなくなり、口に入れるだけで吐き気がする始末。身体の動きがどんどん鈍る。これが徐々に顕著になったのが50㎞ほど進んだときだ。
それでもまだこのときは暑さのせいだと思っていた。暑熱順応不足、軽い熱中症、身体を冷やそう、水分を……と。不幸中の幸いだったのが、現地で追加したボトルだ。中身は、モルテン2本とCCDドリンク。暑いから水分を少しでも摂れるようにと普段は準備しないエネルギードリンク。これを前半から摂っていたので、結果的にギリギリバイクフィニッシュまで維持できた。
どんどんダメージを負う身体。70kmから90kmの間は、意識がはっきりしていない時間が多くあまり覚えがない。ただ、それでも下りだけはと、集中していた……はず。90km過ぎたあたりで、田村光選手に抜かれた際に少しだけ話せた。おかげで気持ちが前向きになり冷静になる。意識的にもはっきりしだす。
ここで、どうしてこうなったかを整理し、ボロボロな状態を少しでも改善できないかポジティブに考えられるようになる。無理やりでもジェルを水で流し込む。そのおかげか、「崩れ切る」ことはなかった。2回目の小周回に入っていくところでは1周目よりしっかり踏めており、若干の回復も見られた。もちろんエネルギー不足に変わりないので登りはつらい。
1周目の長い下り。時速65km前後で下る。路面はガタガタ。カーボンリムにリムブレーキだ。無茶はできないし、そもそも重いギアがないからそれ以上にスピードは出ない。
回復に努めようと軽く回しているときだった。急に前輪が左右に震えだす。ブレーキをかけるが急停止はかえって危なしい、こんな下りだろうと、後ろから選手がガンガンかっ飛んでくる。そしてバイクは対向車が来る反対車線へ吸い込まれていく。かなり危なかった。
ギリギリのところでコントロールを取り戻し、一度路肩でバイクを確認する。パッと見だが目立つ振れやトラブルはないし、クイックもしっかり閉じている。何だったのか? その後は似たようなスピードでもそういったことは起きず。でも、一度起きたことはなかなか脳から離れない。下りは怖かった。道幅があるとはいえ、あの区間は完全に封鎖してほしいと心から思った。
そんなバイクで実感したのが、海外の選手とのパワーの違い、下りの速さの違いだ。上り坂もDHポジションで登っていくし、何もしなくても時速60kmを超えるような下りでもガシガシ踏んでいく。下りでスピードに乗っているからこそ、登り返しが多少楽になる部分もあるだろう。僕にはそれができなかった。
市街地に入ったときはかなり安心した。タイム的に見ても、歩けばゴールできる。でも、そこでそんな考えじゃこの先強くはなれない。どうやったら、走れるようになるか、どうやったら1秒でも早くゴールできるか、常にそれを考えていた。
悔しさが残るフィニッシュの先に
基本は少しでも早く歩き、たまに走る。しかし、100mも走れば視界はチカチカし力が入らない。それでも、走れる距離は後半徐々に増えていった。冷えたお腹に手を当てて少しでも温めようとしたり、冷やすべきところは冷やし、下りの傾斜を使って走ったり。思いつく限りの手を考えて実行した。
すれ違う日本人選手に力をもらい、周りの選手と励まし合い、ゴールを目指した。強度が低いので足へのダメージはあまりない。それが何より悔しかった。追い込めてない自分に腹が立ち、ただ完走しただけの自分が情けなかった。それでもあきらめずに、前を向いて動けた自分に少しだけ勇気をもらった。
ゴールしたとき、頭の中は次のレースを考えていた。
結果は15時間11分。満足はしていない。でも、納得はした。こんなレースなのに変かもしれないけれど、楽しかった。やはり僕はレースに出たいし、レースが、トライアスロンが好きなんだと実感した。
情けないけれど、次へつながる結果になったと思っているし、つなげるために、今僕はまた、前を向いて新たなスタートを切っている。
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