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【私が現役引退を決意するまでの数カ月】関根明子コラム#022

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ルミナ編集部

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関根さんコラム

関根明子の徒然なるままに#022

前回のコラム>>【アクアスロン出場であらたな自分を発見】

PARIS2024に思うこと

オリンピックの暑い夏が終わり、季節の移ろいと共にいつもの日常に戻りましたね。日本ですとたとえば選手が国際大会でメダルなんか獲得すると、テレビ番組で特集を組んだり、1日中何度も同じニュースを放送します。

その昔私が現役時代だったころなので、もう10年以上前のことですが、トレーニング留学でカナダやニュージーランドに滞在していたとき、その国の選手が国際大会でメダルを獲得したり大活躍したりしても、テレビニュースでは天気予報や政治などと同じく、ただ事実のみを放送していました。

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パリオリンピック2024 ©World Triathlon

あまりにもたんたんとだったので、少しあっけないような、寂しいような気もしましたが、お国が違えばこんなにも違うんだなと思いました。

そうなると……日本だとマスコミに取り上げられる回数が多く、格好良く好意的に映される(伝えられる)競技は人気が高い傾向にあると思うのですが、海外でもやはりスポーツの人気というものはマスコミによってつくられるものなのでしょうか。

だから何なんだという話題ですが(ごめんなさい)要は何が言いたいかと言えば、トライアスロンってこんなにダイナミックで格好良いスポーツなのに、なぜ日本ではジュニア世代の競技人口が増えないのかなと思います。

マスコミの皆さんには、もう一昔前の鉄人レースのイメージを改めていただき、歯を食いしばって頑張っている姿ばかりをクロースアップするのもご遠慮していただき、これからはもっともっと魅力的にトライアスリートを紹介してほしいものだ! と、最近ふとそんなことを秋の夜長に考えていました。

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怒らない指導って本当にできる?

これを書きながら競技人口に関して思い出すことがあります。今年の3月に日本財団HEROs(アスリートが社会貢献活動を推進することでスポーツでつながる多くの人の行動を生み出し広げていく活動のプラットホーム)の社会貢献活動の一環で、元女子バレーボール日本代表の益子直美さんが主宰する「監督が怒ってはいけないバレーボール大会in山口」の運営スタッフとして関わらせていただきました。

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参加させていただいた理由なのですが、自分が幼少期からすっと怒られて指導されてきたこともあり、日々の子育て然り、怒らずに指導することは本当にできるのか、本心のところで疑問があったからです。

選手を甘えさせることに繋がらないのか。怒らない指導で本当に勝利を手にすることはできるのかをこの目で確かめ勉強させていただくために参加させていただきました。その内容についてはまた改めてここに書かせていただきますが、当日まず驚いたのが小さな地区大会(市内全域でない)なのにざっと数えて20チーム以上が集まっていたということです。

そのほとんどがスポーツ少年団でした。小さなエリアにこんなに多くのバレーボールをしている子どもたちがいろという事に驚きました。

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スポーツ少年団と言えば指導者や運営は保護者が中心となり、ほぼボランティアの団体です。日本で競技人口が多く人気があり国際的にも活躍している代表的なスポーツと言えば、サッカー、バスケットボール、バレーボール、野球などが思い浮かびますが、日本でそれらを支えている(グラスルーツ)のスポーツ少年団なのだと知りました。日本のスポーツ文化はほとんどがボランティアによって支えられているのかも知れません。

トライアスロンは3種目あるので3種目の用具を揃え、なおかつ練習環境を整えなくてはならないので、他競技と比べたら始めるときに少しハードルが高く感じます。

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でも、少し時間がかかるかるかもしれませんが、以上のような環境が近い将来整えられて、トライアスロンがいつでも誰もがどこでも楽しめるようになったら、地域に根差し人々の生活の身近にあることが実現できたなら。

健康スポーツトライアスロンとして認知されて、そしてその中からいつの日かメダリストが育つようになれば、そのときに初めて普及と強化の両立が成功しているのかも知れません。

今後のトライアスロンの発展を握るもしかしたら大事な鍵はスポーツ少年団かもしれません。

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現役時代の最後を今振り返ると

さて、ここからは私の現役時代の最後について書かせていただきたいと思います。

きっとこの時期のことを振り返ることが相当嫌だったのでしょう。まずはパソコンを開きワードに題を打ち込むまでに相当時間ががかり、そして打ち込んでからも文章がなかなか進まない……。

2006年12月に開催された中東ドーハで開催されたアジア大会で銅メダルを獲得した後、何となく目標が持てないことに悩んでいました。次の目標は明白で2008年に開催される北京オリンピックに出場しチャンスがあればメダルを獲得することでした。

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W杯ドーハ。ドーハ大会のイメージとして ©World Triathlon

でもそこに向かって「よし! やるぞ」というエネルギーが湧いてこない、真っすぐ目標に向かっていけない自分がいました。初めは目標を持てないのは、自分の意思が弱いからだとか、プレッシャーに負けているんだと思って自分を責めていましたが、次第にもう競技に対する情熱や、選手を続けるのは難しいのかも知れないと思うようになりました。

そしてもうひとつ、自分の人生の時間を逆算して、もし子どもを産むならそろそろタイムリミットかもしれないと漠然と感じていました。

このように書いてしまうと、当時応援してくださっていたスポンサーの皆さんはじめ、協力やサポートしてくださっていた方々には本当に申し訳なかったと思いますが、当時を振り返るとそれが正直な気持ちでした。

その時期は一番の理解者であった旦那とも方向性や意見の食い違いが多くなり、競技の話をすることが少なくなっていました。不安と焦りからたくさんの人にアドバイスを求め、いただいたアドバイスを整理することができず、誰の何を信頼したらよいのかが分からなくなっていました。自分の感覚や、今まで経験してきたことや培ったものをすべて否定して、全く信念がなくなっていました。

旦那はずっと私をそばで見てきましたから、これが選手としての集大成であろう北京オリンピック代表に向けて、さあ、これからどうやって目標を達成しようかというときに、私が何を考えているのかが分からなかったのだと思います。

その当時よく言われていた言葉は「こんなに恵まれた環境があるのに何が不満なのか。やる気のある選手をサポートすることはできるが、やる気のない選手を無理やり頑張らせることはできない。そんなに辛いなら早くやめてくれ」ということでした。

その通りだと思いましたが、その当時は自分の弱さや未熟さから辛いことから逃げたいと思っているのか、もう選手としてはさまざまな理由で終わりに近づいているのかが分からず、なかなか決断ができませんでした。

今でもたまにこの時期のことになると旦那と喧嘩になります。まだお互い言い分があるのでしょう。選手には選手の悩み、コーチはコーチの悩み、サポーターにはサポーターの悩みがあり、本当にはその立場にならなければ分からないということが今は理解できます。

間違いなくあのとき、私のトライアスロンへの適性を見抜き、献身的にサポートした旦那の存在がなければ、オリンピック出場はなかったでしょう。これを書きながら、やっぱりまだまだ感謝が足りないんだなと思います。

よし! んじゃ、今晩はおかずを一品増やそうか(発想が昭和でごめんなさい)なんて言うのは冗談ですが、これからは選手時代にお世話になった方々やわがままでご迷惑をおかけした方々に少ずつ何かの形でお返しできたらと思っています。

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上田藍選手(写真・左)と関根さん

若手の台頭を喜ぶ気持ちになった

そして最後に引退を決意した要因のひとつに、北京オリンピックで5位に入賞した井出樹里選手や上田藍選手の存在も大きかったかもしれません。

だんだんと実力をつけ力強さを増していく姿を見て、もちろん危機感や焦りはありましたが、でも、不思議と心のどこかでそれを喜ぶような気持ちがありました。うまく表現できませんが、なんだか肩の荷が下りたようなホッとしたようなそんな気持ちでした。

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井出樹里選手(写真・左)と関根さん

たくさんの葛藤と課題を抱えたままでしたが、やり残して後悔しないようにだけはしようと決めて、2008年の春にトレーニングパートナーと当時スイムの指導をお願いしていた山倉和彦さん(東京ヴェルディトライアスロンチーム監督)のお力を借りて、初めて単独で高地トレーニング(中国・雲南省・昆明市)を行い開幕戦を迎えました。

開幕第一戦目のワールドカップムールーラバ大会はスイムで先頭集団から2分近く遅れてしまい、バイクでラップされてDNFでした。初めてラップされてゴールすることができませんでした。

その2週間後のワールドカップ石垣島大会では33位でした。順位は最下位近くでした。当時のリザルトを見返してみると得意だったランニングはベストから5分近く遅いタイムでした。

レースをしている最中は不思議な感覚だったことを覚えています。北京オリンピックの代表選考に大変重要なレースであり、頑張らなくてはならないことは分かっているのですが、考えがまとまらず、身体に力が入らない。まるで強制的に主電源がシャットダウンされてしまったようでした。

レースが終わった夜、近しい方々から心配のメッセージをもらいましたがまるで放心状態で返信することができませんでした。これ以外のことはほとんど記憶がありません。

その3週間後に行われたアジア選手権広州大会(中国)で少し復調しましたが6位という結果に終わり、この結果のより最終選考会である世界選手権大会に出場できないことが決定し、北京オリンピックへのチャレンジが終了しました。

レースが終わり一夜が明け日本へ帰国する際の空港で、感情のコントロールができず突然涙があふれてしまったのですが、そんな私を見て一緒に泣いてくれたのが田山寛豪さん(現流通経済大学トライアスロン部監督/オリンピック4大会出場)でした。

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田山さんのことは田山さんがデビューしたときから知っており、たくさん一緒にトレーニングしたり海外遠征にも行きました。ご両親とも交流があり、お互いの良いときも悪いときも知っていました。今でもふとそのときのことを思いだすことがあります。あのとき、旦那でさえ泣いてくれなかったのに!(笑)田山さんの優しさに今でも感謝しています。

現役最後のレースは10月に行われる日本選手権の予定でしたが、一度切れてしまった緊張の糸は戻せず、大変悩んだ結果欠場させていただきました。

どのような状態でもきちんとレースに出場してけじめをつけたほうが良いという考えや意見もありましたが、モチベーションの低い状態で出場し、覇気のない走りをしてしまえば日本選手権の雰囲気を壊してしまいますし、ただゴールするだけといような姿を皆さんに見られたくありませんでした。小さなプライドだったかもしれませんが、今でも後悔はありません。

次回からは引退後の活動を少しずつご紹介させていただきたいと思います。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

※1カ月に1回程度不定期更新

【コラムを最初から読む】
>>#001 オリンピアン関根明子さん、コラム始めます!~徒然なるままに~
>>#002【水泳から陸上へ――高校受験が転機に】
>>#003【トライアスロンとの運命的な出会いのきっかけとなった人】
>>#004【本格的にトライアスロンの道へ】
>>#005【シドニーオリンピックをどうやって決めたのか】
>>#006【先輩の背中を見て真っすぐ強くなった私】
>>#007【期間限定のはずが にしきのあきらさん の言葉に勢いで……!?】
>>#008【アテネに向けて再出発 カナダにトレーニング留学】
>>#009【理想の選手とコーチの関係性とは】
>>#010【アイアンマンに挑戦したのは、 自分の殻を打ち破るため】
>>#011【アテネオリンピック前に三宅義信さんから学んだ勝負哲学】
>>#012【あとを追いかけるばかりでは追いつけても追い越せない】
>>#013【アテネを経て改めて想う選手と指導者の距離感】
>>#014【年末にオススメ 思い出の棚卸】
>> #015【シーズン初戦に向けて プロでも気を付けるべき暑熱順化
>>#016【2006年アジア選手権で奇跡的な銅メダルの裏側】
>>#017【2006年世界選手権 諦めず最後まで走り切った結果…】
>>#018【アジア選手権に思うこと】
>>#019【スキルや想いを紡いでいくこと】
>>#020【「自己コントロール」のための「セルフトーク」の重要性】
>>#021【アクアスロン出場であらたな自分を発見】

関根明子 Akiko Sekine
九州国際大学附属高等学校女子部陸上競技部。ダイハツ工業株式会社 陸上部に所属。1998年トライアスロンへ転向し、10年間プロトライアスリートとして活動。2008年に引退後、現在は3人の子育てをしながら、トライアスロンやランニングのコーチとして活動中。1975年生まれ、福岡県北九州市出身。
関根さんがメインコーチを務める、埼玉県さいたま市にある埼玉スタジアム2002公園を拠点に活動するランニングとトライアスロンのクラブ
SAI ATHLETE CLUB SAITAMA《主な成績》
1998年 ソウル国際女子駅伝 日本代表、横浜国際女子駅伝 近畿代表
2000年 シドニーオリンピック トライアスロン日本代表
2004年 アテネオリンピック トライアスロン 日本代表
2006年 アジア競技大会 (ドーハ)

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